若者と聖書(聖書勉強会)  

溝部脩司教、八木信彦修道士他を講師に、カトリック四国会館で開かれた勉強会の内容です。T期は2006年6〜7月に、U期は2006年9〜10月に行われました。
I 期 6/ 6 第一回 聖書とは何か 講師:溝部司教
6/13 第二回 イエスの基本的メッセージ −貧しい人は幸いである− 講師:溝部司教
6/20 第三回 イエスの基本的メッセージ −しかし、わたしはあなたがたに言う− 講師:溝部司教
7/ 4 第五回 サマリアの女 講師:八木修道士
7/11 第六回 弟子のお召し 講師:溝部司教
7/18 第七回 罪深い女  講師:溝部司教
U期 9/12 第一回 イエスの洗礼  講師:溝部司教
9/19 第二回 イエスの弟子たち  講師:溝部司教
9/26 第三回 いやし、救い−イエスとはどういう方か、あわれみ、優しさ−  講師:八木修道士
10/10 第四回 主の祈り  講師:溝部司教
10/17 第五回 あえてタブーに挑戦するイエス  講師:溝部司教
10/24 第六回 ことばの力 −種まきのたとえ、ことばの暴力−  講師:八木修道士
 
第一回  聖書とは何か   講師:溝部司教 
 私たちは「教会」ということばを何回となく耳にし、また口にしている。しかし、「教会」とは何なのだろう。このことを新たに問いなおしてみる必要がある。とくに、初めの頃の教会の歴史をたどりながら、昔の教会と現代の教会とを考え合わせて、理解を深めるようにしよう。

 ところで、昔の教会を知るには、どうしても聖書に頼らなければならない。また、聖書を読まずには、今の教会をも知ることができない。したがって、このテキストは聖書を学ぶことに重点が置かれている。

 聖書は単に、美しい、ためになる言葉の集録ではないし、またイエス・キリストの生涯をしるした伝記にとどまるのでもない。聖書は、今生きている私たちひとりひとりに語りかけてくる神のことば、聖書を真剣に学ぶ者にとって、生きている神のことばである。

 この聖書に基づいて、初めの頃の教会の歴史をたどるとき、昔の信仰が現代もなお、どれほど忠実に残されているか、また信仰は今も昔も変わらない、ということに驚くであろう。と同時に、現在の教会をいっそうよく知り、教会を愛するとは私たちにとってどんなことなのかを、あらためて考えずにはいられなくなると思う。

聖書の読み方

 聖書には旧約聖書と新約聖書がある。このテキストは直接旧約聖書に触れていないが、新約聖書にふくまれるすべての書き物は取り上げてある。
 聖書を読むことはそんなにやさしいことではない。大事なことはこれを読む心がけてある。しかし、ふさわしい心がけを持つ人でも、なお聖書を「繰り返して読む」という、もうひとつの心がけを持たないと、けっきょく理解できない本としてとどまるであろう。

 ひとりで聖書を読むのはむずかしい。が、ある部分を紹介してもらえば、やさしくなる。そこで、テキストの中にたくさんの利用箇所を載せた。

 もうひとつ、すすめたいことは、聖書のことばを共同で読んで、ともに考え、印象を話し合ったり、話し合ったことを書きとめたりすることである。グループ・ディスカッションのような形をとるのもよいだろう。
 たいせつなのは、聖書のことばが、実生活の中で私たちを支え、はげまし、信仰を深めるものとなることである。



福音書とは

 「私たちの間で成しとげられた出来事についての物語を、最初から目撃し、福音を伝えた人々が私たちに語り伝えてくれたとおりに書きつづろうと、多くの人々がすでに手をつけましたが、私もまた、すべてのことを初めからくわしく調べましたので、あなたのために、それらを順序立てて書きおくるのがよいと思います。」(ルカ1、1-3)

 新約聖書の中には四つの福音書があるが、イエス御自身がそれを書いたのではない。今残っている福音書が完成するまでには、30年から40年ぐらいかかったとみてよい。

 イエスの死後、生前のイエスを知り、愛していた人々は、イエスを知らない人々にイエスのことを語り聞かせた。また、イエスの告げた、「喜ばしい便り」(福音)を知らせた。中でも、とくに喜ばしい便りは、イエスが人々の待ちわびていたメシアであり、イエスを信じることによって罪のゆるしを受け、死から救われるということである。これらは思い出の形で語られたが、弟子たちはこの中のとくに大事な教えをまとめ、説教のときとか、集会のときとかに、何度も繰り返して語り聞かせた。

 時とともに、教会にはいろいろな問題が起きてきた。そのたびごとに、弟子たちはイエスのことばを思い出し、あるいはイエスが生前ファリサイ派の学者たちとやりとりした話を基にして、問題の解決にあたろうとした。

 しかし、時がたつにつれ、イエスを目撃した人々の数が少なくなってきたので、一代目の人が伝えてくれた口伝を、少しずつ書き残すようになった。ただ、第二代目の時代になると、キリスト教はすでにユダヤ文化の地域からギリシャ文化の地域へ広まっていたので、ギリシャ語で書かれたものが多い。初代教会の人々はまた、旧約聖書を調べて、キリストとそのつながりを明らかにした。イエスの生涯、死と復活、聖霊降臨、教会の誕生に照らしてこそ、神の意志に従って旧約聖書の真の意味を理解することができる、という確信を抱いていたからだった。このため、新約聖書には旧約聖書のことばがひじょうに多く利用されている。

 ところで、イエスのことばや行いはどのように伝えられていたのか、少し調べてみよう。たとえば、「あなたがたは地の塩である」(1)とか、あなたがたの敵を愛し、あなたがたを憎む者に善を行いなさい。あなたがたをのろう者を祝福し、あなたがたに意地悪をする者のために祈りなさい」(2)などのことばは口調もよく、覚えやすかったので、かなり正確に伝えられ、徐々に、ひとつの話にまとめられていったとみてよい。

 同じように、たとえ話の記憶しやすい。よいサマリア人のたとえ話などは、その一例であろう(3)。何度も繰り返し語られるうちに、だんだんと話し方の要領もわかり、形も定まってきたと思われる。

 イエスの話したことばだけではなく、行ったこともまた、人々の記憶に新しかった。どのように弟子たちを呼びよせたか(4)とか、ザアカイはどのようにしてイエスをわが家に迎えるようになったか(5)などは、初代教会の人々によく知られていた。おそらく、当の本人が感動しながら、かつて自分の身に起ったことを語って聞かせたのであろう。また、それを聞いた人々も感動したにちがいない。

 イエスがファリサイ派の人たちや律法学者たちとやりとりしたことば、議論の的となった問題、時には、激しい言い争いとなったことなども、人々の印象にきざまれていた。

 しかし、弟子たちにとって、最後の晩さんほど、みずみずしい感動をよび起こす思い出はなかったであろう。初代教会は、「私を記念してこれを行いなさい」(6)と言われたイエスのことばを忠実に守りつづけた。

 さらに、イエスが捕らえられ、むち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、十字架を背負って死刑場に向かい、はりつけにされて亡くなった、あの出来事は、師を裏切った弟子たちの心に、もっとも苦しい思い出として痛いほどに残っていたことであろう。

 それだけに、復活したイエスが彼らに現れたときの喜びを決して忘れることはできなかったにちがいない。弟子たちは復活したイエスに会い、手で触れ、その声を聞き、ともに語り合った目撃者として、復活の喜びに満ちた出来事を人々に語り伝えるのであった。

 これらの思い出話を聞いているうちに、新しい信者の心の中にも、メシアであるイエスの言い伝えは形が定まってきて、文字でしるされるようになった。こうして、口伝えの話や、それを、きれぎれにまとめておいた書物などを利用して、一冊の本にまとめられたのが福音書である。

 福音書は四冊残っている。マルコによる福音書はおそらくもっとも古いものであろう。マタイとルカは、マルコによる福音書の中にまとめられた伝承を参照して、それぞれの福音書を書いている。以上の三冊はいずれも、イエスがガリラヤからエルサレムへ旅していくという形をとっていて、共通点が多く、共観福音書と呼ばれている。イエスの生涯をほぼ同じような書き方でつづっているし、内容の上でも密接なつながりを持ち、同じ資料を使ったと思われる個所が多々ある。ヨハネによる福音書だけは書かれた時代もおそく、一世紀の末であったし、しるされた動機も文体も他の三冊とはずいぶん違う。

 これらの福音書をとおして、イエスの生涯の一部を知ることができる。また、それを理解することによって、今もなお、「福音」は私たちの生活に「かかわり合い」をもっていることがわかっている。イエスとかかわり合いをもつ生活、これが信仰生活にほかならない。

(注) (1)マタイ5、13
(2)ルカ6、27-28
(3)ルカ10、29-37
(4)マルコ1、16-20
(5)ルカ19、1-10
(6)ルカ22、19

学習を深めるために

1.福音書がどのように作られていったかを復習しよう。
2.「地の塩、世の光」(マタイ5、13-16)について話し合ってみよう。
3.ルカによる福音書のたとえ話をひとつとって、劇を演じてみよう。
4.マルコによる福音書にしるされた奇跡のひとつをとりあげて、話し合ってみる。
5.福音は私たちとかかわり合いをもつ、とはどんな意味だろうか。

第二回  イエスの基本的メッセージ   講師:溝部司教
−貧しい人は幸いである−  マタイ5、1−48
1) 山上の垂訓。    

幸いな人は誰なのかが扱われています。「自分の貧しさを知る人は幸い」とまず言われていますが、自分の貧しさとは何をさしているのでしょう。自分が弱く、かなしい存在であることを知っている人のことを指して、「貧しい人」と呼んでいるのです。傲然と胸を張って、自分で何でもできると思い込んでいる人は幸せでないということなのです。私たちは、常に自分中心主義で生きてしまうものです。少しでも成功すれば、自分の才能や能力だとうぬぼれてしまいます。失敗すると、他の人の責任にして怨み節をこぼします。人間はどうしてこんなに自分勝手なのでしょう。自分の弱さを知っている人は、自分の限界を分かって、そして謙虚に行動します。自分の弱さを知っている人は、他人の弱さ、悲しみをよく理解することができます。「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは、よく人生の生き方を表している箴言です。だから「悲しむ人は幸い」と呼んでいます。人の悲しみを体験しているからこそ、他人の悲しみを理解するのです。そしてこの人はそのことのために幸せと呼ぶのです。

2)柔和な人、あわれみ深い人は幸い。

 太陽と冬風の話があります。オーバーを着込んだ旅人からオーバーを剥ぎとる力は何かを扱っている寓話です。冬の風がぴゅうぴゅうと旅人に吹き付けます。その時彼はますますえりをたてて、オーバーをしっかりと握りしめます。それに反してぽかぽかと照る太陽は中から旅人を暖めて、自然にオーバーを脱がせるのに成功します。暴力や脅し、強制では人の心を得ることはできません。スイスに近いフランスの町、アネシーの司教であった聖フランシスコ・サレジオは次のことばを残しています。「蠅を取るには、樽一杯の酢より匙一滴の蜂蜜で十分である」。サレジオは柔和の聖人と呼ばれました。柔和は自然に備わってくるものではありません。苦労を積み重ねた人がこの徳を身につけることができるのです。
 聖書の中で使われる「あわれみ」は、単に人への同情位の意味ではありません。“人の腸からあふれ出る相手へのいつくしみ”といった意味で理解されています。日本語で「断腸の思い」と言いますが、それと同じことです。相手の人の苦しみに触れた時お腹の底から“悲しい”思いに駆られるのです。友が失敗して嘆いている時心の底から悲しむことができる人、この人は幸いだというのです。これができるには、やはり人生の苦しみを味わっている必要があります。それでも天性のように小さい時から優しい若者に出会うのですが、この優しさは時々弱弱しい優しさであることがあります。本当にあわれみ深い人は、相手の人を守るためには厳しく、強い面を持っていることにも留意しなければなりません。
 柔和もあわれみも、決して弱い人を表していません。これができるには強い自制心、人生を見極めた強さが必要なのです。柔和であわれみ深い大人たちに接している子供たちは、安心してその大人たちに近づけます。これらがない大人たちは常にいらだち、子供たちに暴力を振るってします可能性が高いのです。現代DVということがよく言われます。家庭内暴力のことです。男が女に暴力を振るい、母親が子供に暴力を振るい、更にその子供が大人になってまた暴力を振るうという悪循環が繰り返されます。言うことを聞かなければ、全て暴力で解決しようとします。これは政治の世界についても言えます。

3)義に飢えかわく人、義のために迫害される人は幸い。

 「義」とは何でしょう。正義という意味で考えると英語でいう“Give and Take”
という意味で解釈されてしまいます。これだけのことをしてやったのだから、これだけのものを返せとの意味です。どこまでも商談成立の条件として考えられています。聖書が考えている「義」というのはこれとは異なります。むしろ”
Give and Give”の意味なのです。与えつくす義ということを指しています。それというのも、報いを求めないで与えることを神様が要求しているからです。キリスト教では、父である神様は惨めに地上をはいつくばっている人間を救うために自分の一番愛する御子をこの世に遣わしたというのが、教えの根本にあります。そしてその御子は、自分を人間のために全部捧げて十字架上で死んだと教えます。「友のためにいのちを捨てるほど大きな愛はない」と言われている通りです。
 「義にうえかわく」とは、与えつくす愛をあくなく求めることを意味しています。計算高い愛ではなく無償の愛を求め続けるのです。同様に無償の愛を求め続ける生き方を小ばかにする人々から無視されたり、軽蔑されたりすでしょうが、そんなことはお構いなしなのです。ありがとうのことばさえ言えずにこの世を去っていく路傍の人々を看取っていったのはマザー・テレザでした。教育の現場でも生徒や父母から賞賛を得たり、ほめられて有頂天になっている限り本物にはなりません。

4)平和をもたらす人、心の清い人は幸い。

 聖アウグスチーノは「平和とは秩序の静けさである」と定義しました。教会は最近これを別の定義にしました。「平和とは人々が苦労してつくりあげていく秩序の静けさ」(第2バチカン公会議)という定義です。あるものを貰って平和だ、平和だと言っている限り、本物の平和とはなりません。平和は苦労して作り出すものだからです。「平和をもたらす人」と聖書が言っていますが、この「もたらす」はもっと強い意味があります。平和が生まれるには血のにじむほどの苦しみがあるということです。だから「作り出すもの」と公会議は定義しました。現在日本の社会は当然のようにこの平和を享受しています。しかし、気をつけないとあっという間にこれを失う恐れがあります。真の平和は日々の生活の中で人々と深い平和を生きることから始まります。お互いにいがみ合っている限り、世界の平和など望めません。
 平和ということを話しましたが、平和が実現できるには何よりも「心の清さ」が求められます。清い心とは、澄み切った良心のことです。善と悪とをしっかりと見分ける心です。確かに多くの場合、善と悪とを割り切って理解することは困難です。しかし、澄み切った良心がある時にはそれははっきりと見える場合が多いのです。澄み切った良心とは、先ほど話した「神の義」ということとつながってきます。与えつくす愛に生きる人には澄み切った良心が与えられます。争いではなく、愛し合う世界を目指すことを考えることができるからです。残念ですが、現代「歯には歯を」という考え方が余りにも強すぎると言えます。

5)地の塩、世の光

 「あなたがたは地の塩、世の光」とマタイは言っています。この箇所は先の文章、即ち山上の8つの垂訓に続いて言われていることです。自分の貧しさを知っている人が地の塩なのです。自分の弱さを知っている人は、人々の間にあって塩の役割を果たします。塩は目に見えないけど、料理にはどうしても必要です。塩がある時には食べ物に味がつきます。貧しい人が居る共同体には潤いがあり、喜びがあります。彼は地味だけど、その共同体に素晴らしい味付けをします。
 同様に、自分の貧しさを知る人は、人々の光となることができます。人の弱さを知っているからこそ、共同体を導くリーダーとなれるのです。

第三回  イエスの基本的メッセージ   講師:溝部司教
−しかし、わたしはあなたがたに言う−  マタイ5、17−48
1)「律法の一点一画も消えうせることはない」。

 旧約聖書の時代、律法ということがとても大事にされました。律法を守る人は立派な人、人格者、信仰あつい人と考えられていました。それでは律法とは何でしょう。現代でいう法律のことです。法律をまとめているのが『六法全書』といわれるものです。『六法全書』を全部読んでいる日本人はごく限られた人といってもよいでしょう。これを全部呼んで解釈する学者がいますが、これは大変なことです。ところが当時のユダヤの社会では、この律法ということが一番大事にされて、これを皆が読んで生活のための基準としていたのです。従って律法を解説する学者は非常に尊敬されていました。
 ユダヤの社会でもう一つ大事なことは、律法は「聖書」と呼ばれて宗教的な生活の規範となっていたことです。律法なしにユダヤの社会は成立しなかったのです。イエスは律法とは何かということについて、律法学者と呼ばれている当時の社会の指導者に論争をしかけたのです。これは大変なことでした。そして、そのことのためにイエスは処刑されるという結果になるのです。それではイエスが仕掛けた論争の出発点は何だったのでしょう。
 「律法の一点一画も消えうせることはない」と、まず最初にイエスは宣言します。「あなたがたは、わたしが律法や預言者の教えを廃止するために来たと思ってはならない」とも言います。」法律は人々の生活を守るためにあります。規定を定めることで、人間の間の関係がスムーズになるように仕向けられます。争いがあればそれを調停できるし、助けあえる場合を想定して種々の決まりをつくります。しかし、法律が字に書かれて、それが一人歩きして、人間の必要というより法律の文字の方が優先されるということになると、人間が本来持っている自由とか、尊厳とかが失われる危険性があります。幼稚園でもきっと決まりがあるでしょう。それは園児がより快適に、そしてより健康に過ごすためにつくられたものであるはずです。あるいは、そこに働く職員が同じ方法で教育するためにつくられたものであるはずです。しかし、一つ間違うと、決まりを守ることにきゅうきゅうとなって、子供のためには何にもならないということも起こります。
 イエス様は、決まりは大事であるし、それを守ることは必要だということを大前提として話を進めます。それではどのように彼は話を進めるのでしょう。21節以降を読み合わせて考えることとしましょう。

2)「あなたがたも聞いている通り、昔の人々は、『殺してはいけない、人を殺した者は裁きを受ける』と命じられていた。しかし、わたしはあなたがたに言う」(21)。

 人を殺してはいけないという掟がある。確かに人を殺すことはいけないことなのです。それでは、私は人を殺したことがない、包丁やピストルを持ったこともない、ましてや人を傷つけたことさえない、だから私は何の罪もない、義人でると、私がうそぶいたとしよう。イエスはここで質問するのです。“本当にあなたは人を殺したことがないのか?”
 殺してはいけないという掟をもっと掘り下げてイエスは質問するのである。ナイフで人を殺してないかもしれない、しかし、目つきで、ことばで人を傷つけ死に追いやっているかもしれない。「兄弟に『ばか者』と言う者は、火の地獄に落とされる」(23)と言っている通りです。もっとこれを掘り下げているのが、38節以降です。「下着を取ろうとする者には、上着をも取らせない。誰かが無理に1マイルの道を歩かせようとするならば、いっしょに2マイル歩きなさい」。
 現代風にこれを解釈すると、こういうことになります。学校に長く働いた私を例にとってみましょう。高校生でクラブ活動、またはボランティア活動に全力投球で大学受験の勉強が疎かになったとしましょう。その結果受験に失敗して、彼がその報告にやってきて、来年のことを話しにきたとしよう。彼に、あれ程口すっぱくそんなことをしていては失敗すると言ったではないかと叱責するか。とぼとぼと帰っていく彼を後ろから見て、当たり前だ、当然の報いだとうそぶくか。あるいは、彼の横を黙って歩いて、駅に着くと“またがんばれな”とぽんと肩を叩くことができるか。イエスにとって「殺してはいけない」とは、人を愛し、助け励ますとの意味なのである。考えてみると、私は何てたくさん人を殺し続けて生きてきたことでしょう。法は大切であるけど、人間の方がもっと大切なのです。法は人を守り、助けるためにあることを忘れてはいけません。
 仙台で体験したことです。冬になるとホームレスの人のために、炊き出しグループが着る物を教会で集めていました。東北の冬は特に厳しいからです。ところが、ある人は使い古しの着物をぽーんと放り出していくのです。家には不用の古着が邪魔なので持ってくるのです。ある人はきちんとクリーニングして、きれいにして持って来ます。ある人は一年間袖を通さなかったので、それはもったいないことだと考えて新品を持って来ます。ホームレスの人を、一人の人間として考えているかどうか、この対応の仕方を見てよく分かりました。使い古したからあげるのではなく、使ってもらいたいから渡すのです。使い古した物を放り出すように投げ捨てていく、これは罪でなくてなんでしょう。
 私の中学生の頃の話を聞きましたね。みかんを盗んだその日の出来事です。しかし、それを咎めることなく、かかった費用を全部払ってくれたあの神父様のやり方は、その後の私の人生を大きく変えました。「殺すな」とはこういうことなのです。「殺さない」とは、徹底したもう一人の人のためにつくすことをさしているのです。

3)「自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、何か特別なことをしたのだろうか」(47)。

 好きな者同士が戯れている姿を何度も目にします。見ていて気持ちがいいものですが、時々その輪の中に他の人が入れないということが起こってしまいます。ある人々は、ある人を無視するために自分たちのグループの結束を誇示します。今のいじめとか、集団暴力とかいつも派閥の論理とつながっています。カトリックの幼稚園ではこんなことはないでしょうが、気をつけないと自分の仲間内でも同じことをしてしまいます。私は職場での精神的暴力を何度も見てきました。皆が無視して、会えばその人の悪口を言うのです。新任が来ると役目をよく説明しないで、できないと陰口を叩くのです。その反対に年寄りを寄ってたかっていじめるのです。
 これらはどうして起こるのでしょう。「兄弟」というのを、非常に狭い意味で捉えているところから起こっているのです。自分の好みにあった人、自分が好きな人に限定しているからです。あるいは自分の身内に限っているからです。その範疇に入らない人は排除されるのです。私は種々の集まりを準備しますが、特に青年たちの場合には、必ず集まりに参加した全ての人と話すようにと勧めます。仲良しグループは自分を広げるためには役にたたないと思っているからです。仲良しに固執する余り、嫉妬とか無視とか、その他のいざこざがついて回るのです。
 これが分かるには、「兄弟」ということばの上に、「神様が私に下さった兄弟」という形容詞を付け加えるとよいでしょう。これは結婚についても言えることです。自分の魅力で相手をひきつけたとか、自分の美貌に相手はどっぷりとかといった見方では長続きしません。ましてや下心ある結婚なんて、全く無意味です。二人を結びつけてくださる神の手があり、その手に導かれて結婚生活があると信じている結婚式の誓いなのです。相手を自分の思う通りに操ろうとするのではなく、相手を神様が下さったかけがえのない宝と見ているのです。これは自分たちの子供たちにも言えます。子どもは神様から授かった賜物なのです。このように考えると、子供はかけがえのない存在であり、いかなることがあっても守り抜いていかないといけないと考えるようになります。この論理は職場にも通じます。単に偶然に出会った、単に気の良い仲間ではありません。神様が出会わせてくださり、共に仕事の苦しみを分け合っていくパートナーなのです。こういう目で仲間を見る時、すばらしい職場が生まれ、活気溢れる教育現場となり、教育の実りが期待できるのです。

第五回  サマリアの女   講師:八木修道士
−ヨハネ4、1-42−
 サマリア人とユダヤ人は、元々は同じ民族であり、同じ信仰を持っていた。国が二つに分裂し、アッシリアやバビロンといった国にそれぞれが侵略されていくという歴史を経ていくうちに、サマリアにはアッシリア人が住み着き、民族が混じりあい、異教化した。サマリヤ人はユダヤ人と異邦人の混血であり、ユダヤ人は、純血でないサマリア人に軽蔑のまなざしを持っていた。
 ここに登場するサマリア女性は、サマリア人であるというだけで背負わなければならない重荷がある。女性であるというだけで背負わなければならない悲しみがある。正式に結婚していないということで背負わなければならないつらさがある。この女性は何重もの意味において人々から差別的な目で見られる、あるいは社会的な力、立場を与えられずに小さくされている人であった。それに加えて日々の生活の大変さがある。そのため、人と顔を合わすことさえ避けていた。生活に必要な水を汲むことさえ、誰もいない暑い真昼に行う人だった。この井戸は特別な宗教的な井戸で、ここに水を汲みに来ることは、この女性にとって礼拝であり、慰めであったのかもしれない。彼女が渇いていたのは、水だけではない。人から本当の意味で受け止めてもらえること、自分のことを分かってもらえること…。
 そんな時、優しいまなざしでその女性をあたたかく包み込む男性が彼女に声をかける。「水を飲ませてください」……ユダヤ人が異教の女に声を掛けることは滅多になく、水を汲む器さえ共有することはなかった。イエスは、当時のユダヤ人から、最も強い偏見と差別を受けていたにちがいない一人のサマリアの女性に対して、ごく自然に接する。イエスのとった行動はいくつもの前代未聞のことだった。
 女性はびっくりする。いつも人からさげすまれて、疎んじられているその自分に、ものを頼む人がいる。自分を軽蔑することなく、見守り、受け容れ、愛してくれるイエスに出会った。イエスは彼女に救いと永遠のいのちの水を与えた。
 その後、この女性は水がめを忘れて町に戻り、イエスのことを彼女を憎んでいる町の人々に伝えに行った。人前に出られなかった人が、人々の前に立つ。自分のことを隠していた人が、もう隠すことをやめている。彼女の心に癒しが与えられ、自分の現実を克服することができた。うずくまって生きていた者が、主イエスとの交わりを通して、立ち上がることができた。この世をはばかる者からこの世への宣教者へと、明らかに変わっていったのである。

サマリア女性の体験記
 ヨハネ福音書4;1-42に登場するサマリアの女性が、このイエスとの出会いをもし手記にしてみたら…という思いで、私(八木)は彼女になりきって(想像の部分も多々ありますが)、代筆してみました(以下)。

 私はヤコブの井戸で、イエス様と出会ったサマリア出身の者です。その時の出会いがあまりにも印象的・感動的だったので、その様子や状況をどうしても皆さんにお伝えしたくて、このペンを取っています。
 私はサマリアで生まれました。物心ついたときから、周りのユダヤ地域で住んでる人とは、違う人間なんだと、気づき始めました。私はサマリアで生まれたということだけで、一人の人間としてではなく、動物以下のひどい扱いを受けていたのです。ユダヤの人々から、なじられ、悪口を浴びせられ、時には石を投げられたりすることもありました。毎日そんな惨めな思いをしながら育ったのです。そういう状況ですから、大人になっても、いい仕事に就けるはずもなく、貧しくひもじい生活をしておりました。そして生きていくために、どうしても生きのびるために、自分の体を売るしかなかったのです。出会う男からは、まるで品物や道具のように私の体をもてあそばれました。相手の言うとおりにしないと殴られたり、蹴られたりもしました。ただまだそれらには耐えることができました。私が選んだ道ですから。何よりも辛かったのは、私が売春婦をしているということで、同じサマリアの人々からさえも白い目で、冷たい目で見られるのです。毎朝、私が井戸に水をくみに行くと、同じようにたくさんの女性がその井戸に集まって会話を楽しんでいます。その中に私が入ると、楽しそうな会話が一瞬のうちに止まり、皆がその井戸を離れてちりぢりに帰って行くのです。まるで私を避けるかのように。ある時にはつばを吐きかけられたり、完全に無視されたりする時もありました。生活のための水をくみに行くことも、いつの間にか皆が集まらない昼間を選ぶようになり、一人で水をくむのでした、本当に孤独でした。サマリア出身ということで人々から迫害を受け、売春婦だと言うことで同じ地域の人からも拒まれ、私には落ち着ける居場所というものをなくしていました。悲しくて悲しくて生きる意味を見失っていきました。私は何のために生まれてきたのだろう、私には何の価値もなく役割もない、誰からも必要とされていない、ただ生きていてもバカにされたり虐げられるだけ。生きるために体を売る仕事を選んだのに、こんな状態であれば、いっそのこと死んでしまえばどれほど楽だろう、そんな風に考えるようになっていました。
 そんなある日の昼時でした。いつものように人目を避けて井戸に出かけました。するとその井戸のかたわらに、見知らぬ男性が座っているのです。私はサマリア出身ですし、ましてや違う地域の男性などとは、会話するはずもありません。また、この男性からまた差別を受けるのも嫌でしたので、その場から立ち去ろうとしました。その時、彼と目が合ってしまったのです。ところがどうでしょう。遠くから私を見つめるそのあたたかいまなざし、少し笑みを浮かべる優しいお顔、体全体で私を受け入れてくださっているあの雰囲気に、私はのみ込まれるように、引き寄せられるかのように、彼のところへ近寄っていったのです。今まで私を見つめる男性の目は、私の肉体を求める、私を言いなりに動かそうとする獣のようなひとみでしたが、彼の目はそれとは全く違い、今まで出会ったことのない、本当に穏やかなひとみでした。
 その彼が私にへりくだって「水を飲ませてください」と頼むのです。私は一瞬どうしたらいいのか、どう答えたらいいのか、とまどいました。と同時に彼から声にならない声が聞こえてくるのです。「私が水を飲むために、あなたが必要です。」「あなたは大切な存在。生まれてこなければ良かっただなんて決して思わないで」という声が…。どう表現したらいいかわかりませんが、今まで感じたことのないいつくしみ、温かさがそこにありました。思わず、「どうして私に頼むのですか?」と答えてしまいました。そして生ける水についても話されたので、それはどういう水なのか、あれば欲しいと頼みました。それについて彼は直接返事はされませんでしたが、彼とお話ししている内に、自ずとその答えが理解できるようになったのです。というのは、たった数分間の出会いでしたが、その短い時間の中で、どんな背景があろうと私がいかに大切で貴重でかけがえのない存在、必要とされている存在であるかを、言葉だけではなく、まなざしで、態度で、仕草で、そして全身全霊で、知らせてくださっていたのです。彼は多くは語りませんでしたが、この静けさ、落ち着いたたたずまいの中に、言葉にならない言葉で多くの大切なことを語っていたのです。
 私は井戸の水を彼にさし上げましたが、彼からは私に愛のいぶき、まさしく生ける水をくださったのでした。わたしはそれを渇望していたのかもしれません。沙漠をさまよう人が水をほしがるように。そしてその愛のいぶきの水は、まさに私の心の中に入ると泉のようにあふれ出してくるのです。
 この出会いを境に私は変わりました。変えられたという方が正しいでしょう。絶望のどん底にいた私を希望へと導いてくださいました。お話している内に、彼こそキリストと呼ばれるメシアだと気付かされていったのです。以前は「私のような貧しい者のところに、神がおいでになるはずがない」といつも思っていました。でも今は「貧しい者を訪ねて来ださるのは、神以外にいない」と確信を持つようになりました。彼と別れた後、出会ったこの男性のことを人々に話さずにはいられませんでした。
 私は以前は何度も死を考えましたが、もう、自分の命を絶とうなどと、自分をいたわらない愚かなことは考えません。神様から生を授かったこの命を、自分の役割や使命のために、かけていきたいのです。そして力強く、希望を持って生きていきたいのです。この私が受けた愛のいぶきの水を、これから私が出会う人々に分け与えるために。そしてその水が彼らの心の中で泉のようにあふれ出るために。今はこの使命のために喜びであふれています。
 この手記を通して、私がヤコブの井戸で出会ったこのイエス様のことを、どうしても皆さんと分かち合いたかったのです。いいえ、語らずにはいられなかったのです。

第六回  弟子のお召し   講師:溝部司教
−ヨハネ1、35−51−
 人には夫々の出会いがあります。それは時々人生で決定的な出会いとなることがあります。多くの場合、出会いは偶然にあるものです。偶々職場が一緒だったとか、学校が一緒だったとかという理由によります。しかし、出会いは単なる偶然なのか、人生ということを少し分かっていくと疑わしいものになります。

1)「じっと見て。。。」、「イエスは振り返り、二人がついて来るのを見て、“来て、見なさい”と答えられた」、「イエスが住んでおられるところを見た」。

 若者がまずヨハネの福音書の最初に登場します。彼らは好奇心に駆られて、イエスは誰なのかを探ろうとしてついて行きます。若い時代は、好奇心でいっぱいですし、未知の人生に対して興味を抱いています。自分の人生は何に賭けるのか、どちらの方に向いているのか、全てはまだはっきりしないのです。だから青年は迷ったり、過ちを犯したりします。初めから冒険も一切しない、石橋を叩いて渡るという青年には私は余り魅力を感じません。手探りで歩くうちに自ずと道は開けるものです。ただ、遠回りをするか、案外早く道を究めていくか、夫々の人生の軌跡は異なるものです。皆さんも後10年経てばどうなっているでしょう。今の仕事をただただこなしていけば道が開けるのでしょうか。どこかで一つ賭けてみないといけないということはないでしょうか。
 藤沢周平の小説に「橋ものがたり」という本があります。一人の、将来を嘱望された青年武士がいました。彼には愛する身分の違う一人の娘がいました。しかし、乞われて彼は、彼の上司の娘と結婚してしまいます。結婚して、妻もその家族も出世と世間の評判ばかりを気にしているのに辟易して、愛する娘の所に戻ります。汚物の中に病み伏しているその娘を看病します。しかし、今ある身分を捨てる決心にまで至りません。彼の煮え切れない態度に耐えられず、彼女は彼のもとを去って行きます。そして彼と彼女とを隔てているのが一つの橋だったのです。川の向こうは夜霧で人影は見えません。しかし、声だけは聞こえるのです。彼のもとに彼女の声だけが聞こえます。“もしその気になれば、この川を渡って来てください。川のこちら側で待っています”。
 出会いを決定的にするには、どうしても川を渡らなければなりません。目に見えない将来に飛び込まないといけないのです。いつまでも、ああだ、こうだと逡巡していては、決して未来は開けません。人生の70%は毎日の出会いの連続にあり、後の30%を一気に賭けてみる必要があるのです。出会いをたくさん繰り返し、人を愛し、人と交わる喜ぶ術を心得ていって後に決定的な出会いが準備されるのです。しかし、それでも最後の30%は跳ばないといけません。結婚を例にとってみましょう。好きな男性、女性とつきあって、その人を愛しているとの結論に近い感情を持つでしょう。しかし、それから決心できないのが、現代の若者の特徴となっています。最後の30%まではっきり見えないと相手の胸に跳びこめないのです。見えないけど、橋を渡る、見えないけど相手に賭けてみる勇気がもてないのです。
 聖書の弟子たちはイエスを見ます、そしてついていきます。彼の住んでいるところに行き、そして一泊して、彼が誰であるかを見てついていくことを決意します。イエスというお方に賭けたのです。それは「見た」からです。同様にイエスも「彼らを見つめた」からです。何よりも出会いを大事にするイエスに惹かれた若者の姿を私たちは見ることができます。そして、この出会いはこれらの青年たちの人生を大きく変えていきました。このように考えると、毎日出会っている人々、働いている職場がいかほど大事なものであるかをはっきりと理解することができるのです。今のあなたにとって、職場、家庭にいる人々は決定的な意味を持っていると考える時に、与えられた時を大事にして生きるという決意が生まれないでしょうか。そして、どうしても決断しなければいけない時には思い切って跳んでみることです。

2)「あなたの名はシモンであるが、これからはケファスと呼ぶ」(42)

 出会いは人を変えます。イエスに出会ったペトロはその出会いによって変えられたのです。昔は名前を変えるとは、その人の生き方を変えるということを意味していました。ペトロとは「岩」と言う意味です。不安定で、むきになる性質のケファスは「岩」のようにどっしりとした人間に変わるとイエスによって約束されたのです。
 青春を生きる中で、真摯に人生を生きている人に出会うと、その人は大きく変えられるものです。今までの人生の歩みの中で自分に一番大きな影響を与えた人は誰でしょう。少し振り返って考えてみましょう。両親でしょうか、先生でしょうか、先輩でしょうか。。。 もし誰も居ないとすれば、とても不幸です。逸見優という作家が居ますが、彼が書いた本に「もの食うひとびと」というのがあります。草食動物は草を食み、肉食動物は草食動物を殺して食べ、人間はそのどちらをも食べて生きる。人間や肉食動物の排せつ物は草食動物を育む。この世界は食いつ、食われつなのだと言っています。人間の世界も同様で、大人は自分を若い者に食って貰って若い者を育てる。若い者は先輩を食って育つのだと結論づけています。皆さんは若いのであって、今大人たちを肥やしにして成長しないといけません。同様に大人たちは若者に自分を投げ出していく必要があるのです。現代の若者は、自分たちの世代の付き合いだけでことたりるとする傾向があります。これは余り頂けません。
 イエスに出会ったペトロは大きく自分の人生を変えられました。私はその昔人生に迷ったことがありました。当時私はローマで勉強していました。カトリックの司祭に叙階される寸前でした。聖書の物語を勉強するにつれて、ロ−マにおいてカトリック教会がけばけばしく、虚飾に満ちていると感じていました。これは貧しく生まれ、貧しく十字架で死んだイエスの教えとは全く違うという想いにとらわれていて、司祭になるのを止めようと思いつめていました。その時一人のドイツ人の友達が、止める前にパリに行ってみてはどうかと誘ってくれました。パリには労働司祭という人たちがいて、パリ郊外のバタヤ部落で日雇いの労務者の家族と一緒に生活していました。私も毎日日雇いの労務者になり、彼らと生活しました。当時のヨーロッパはEU運動が起こっている時で、全ヨーロッパから学生が集まり、そこで共同生活をしていました。毎週金曜日は“誰かのための日”と呼ばれ、種々の仕事が割り当てられました。私はイタリア語ができるということで、イタリアから来る列車にイタリア人らしき少年が降りて来たら声をかけるようにとの指示を受けました。毎週パリ南駅前に立ったものです。それらしき少年が降りてくれば、今日の宿があるか、仕事があるかを聞き、私たちの家に連れてきました。幾らきれいにしても毎日何度も汚すトイレに何度腹をたてたでしょう。一夫多妻のアルジェリア人が住むがらくたの廃品バスには子供がうようよしていました。それでもパリで初めて司祭になって生きようという決心がつきました。今私があるのは、この時期の体験によることが多いのです。

3)「いちじくの木の下にいるのを見た」(48)

 中近東で、いちじくの葉は広く、その下には大きな影ができ、その下で読書したり、居眠りをすることができました。イエスは木の下にいるフィリッポを見ます。フィリッポは何をしていたのでしょう。多分瞑想していたのではないでしょうか。自分の人生は今からどうなるのか、何に賭けて生きるのか、これらのことを考えていたでしょう。その彼をイエスは呼びます。ただ、のほほんと人生を送っている若者に声がかかる訳ではありません。目覚めて、求めて、そして立ち上がろうとする青年に声がかかるのです。あなたの青春は。。。?あなたの未来は・・・?

 
第七回  罪深い女   講師:溝部司教
―ルカ7、36-50−
 この聖書の箇所を描写してみましょう。ファリサイ派の一人の人が、イエスを食事に招待します。ファリサイ派というのは、熱心なユダヤ教の指導者であり、ユダヤ人の間でとても尊敬されていました。食事をしている時、その場にふさわしくない「罪深い女」が入ってきます。娼婦とみなされている人のことです。食卓に連なっている人々が見ている中で、彼女はイエスに近寄り、香油を足に塗ってその足に接吻したのです。皆はあぜんとして、それから後はさげすんだことばを交わしたのでした。イエスは、愛情を注ぐ行為を行った彼女をほめ、罪が許されたと宣言します。以上の出来事から幾つかの考えるヒントをとることとしましょう。

1) 罪とは何でしょう。

 当時のユダヤの社会では、罪人とは主に3種類の人たちでした。その一つは性を売り物にしている「娼婦」と呼ばれている人たちでした。彼らは男の欲望の対象であり、またさげすみの対象でもあったのです。彼女たちは普通の社会生活の場所に住むことができませんでした。次に「皮膚病にかかった人」たちも被差別の人たちであり、「罪人」とみなされていました。聖書にこれらの人たちも多く登場します。彼らは町に入り、市民と接触することさえ禁じられていました。それは伝染すると考えられていたこともありますが、それ以上に、何かの罪の結果こうなったと思い込んでいたからです。三番目は「徴税人」といわれている人たちです。当時のユダヤはローマの支配下にあり、敵である為政者ローマに納める税金を徴収する役割の人たちでした。彼らもユダヤ人が許すことができない被差別の人たちだったのです。これらの人たちがいわゆる「罪人」であり、彼らは一般社会人との接触は許されていませんでした。
 この3つのカテゴリーを見て分かることがあります。罪とはもっと内面的なことであるはずなのに、これらはいずれも外見から判断していることの結果なのです。だからファリサイ派の人たちは、その女の人が入って来た時に、「あの女は罪深い」と判断するのです。イエスは、罪はカテゴリーではなく、人の奥底に潜む、うとましい何かなのだと考えます。私たちも、気をつけないと、表面で判断して、“あの人はこうなんだ”と思い込んでします危険は常にあります。“あの子のお父さんはこんな人で、こんな職業についているので、あの子はこうなんだ”と断言してしまいがちです。いつのまにか私たちの中にも罪人のカテゴリーをつくって差別したり、侮蔑したりしているかもしれません。
 問題は、あの人は罪人だと裁く側にいることで、自分は罪人と考えないことにあります。これはこわいことです。人は皆罪深いのです。義人ぶっていますが、その実、心の中は欲望でいっぱいなのです。いろいろな欲望があります。出世欲でしょうか。征服欲でしょうか。限りなく物を欲しがったり、異性を自分の所有物にしようとしたりします。いずれも周りの人をさげすんだり、蹴落としたりすることに情熱をかけることになります。自分中心ですので、いつも人をけなしたり、意にそぐわない時には相手をめちゃくちゃにけなしたりします。これが国同士になると戦争になります。今の学校でのいじめなども私たちの中に巣くっている罪深さにあるのです。わたしたちも自分の心の中をしっかりと見つめれば、自分が罪深いということに気づかざるを得ません。

2) 罪とは何でしょう。

 ここに登場してくる女は、自分が罪深いと自覚しています。だからあえてイエスの前にゆるしを頂くために訪れたのです。この女を見た、いわゆる“正しいと思われている人々”と根本的に違っているのです。罪深いと自覚している人をイエスは受け入れます。居丈高になって、人を罪人扱いにしている人こそ「罪深い」とイエスは見なしています。
 それでは、罪とは何でしょう。罪とは生まれた時からもっている良心に反して行う行為のことです。“盗んではいけない”とか、“殺してはいけない”とかは、教えられなくても皆が持っているものです。ただそれを押し殺して何度も繰り返す中に良心が鈍って、罪と感じなくなる恐れがあります。だから良心を磨かなければ、罪ということも分からなくなります。この女は、自分の生き方を振り返ってみています。そしてこのままでは自分の人生はだめになると感じています。娼婦であるからというより、人間としてふさわしい生き方ができない自分を嘆いているのです。性を売り物にして生きている自分が悲しいのです。
だからこそ、自分の全てをさらけ出してゆるしを乞うたのです。
 ファリサイ派の人々は、罪を規定されたものとみなしたがために、罪そのものが分からなくなったのです。“殺してはいけない”を文字通りにしか捉えることができないのです。だから、“私は人を殺してはいない”とうそぶいているのです。内面を見つめて、“人を愛する”ことのない自分に気づかないのです。性を売り物にしているそんな女を相手にする暇などないと考えます。彼女が苦しみながら、必死になって求めているのがどうしても理解できないのです。イエスは、性を売り物にしている彼女を問題にしているのではなく、そうしなければ生きていけない彼女を深くあわれんでいるのです。罪深い体験をしたからこそ、彼女は人の悲しみに気づくのです。その体験をしている彼女は、“殺してはいけない”とは“愛しなさい”という意味だということをはっきりと理解したのです。
 罪とはわたしたちの心の奥底深くにひそんでいる欲望です。その欲望のままに行動する人たちが罪人なのです。もっと悪いことには、その行動が罪深いと考えていないことにあります。罪深いと感じている人には、そのことのために何としてでも新しく生まれかわらなければいけないと感じて、人生をやり直すのです。残念ですが、自分が罪深いと感じていない人には、新しいいのちへの出発がありません。それは、自分が絶対に正しい、自分には何の過ちもないと信じ込んでいることから起こります。

3)罪の赦し

 イエスは女に「あなたの罪は赦された」と言います。「多く愛したので赦された」と、その理由を述べています。赦しを求める人は、必ず謙虚です。自分の過ちを素直に認め、そして相手にお詫びするのです。居丈高になって自分を主張する限り、和解は決して成立しません。女は初めから自分の哀しみ、自分のいたらなさを披露して、赦しを願います。イエスは、それだけで十分赦されると考えています。「愛する」ということばをイエスは使っていますが、それは“相手を受け入れる”くらいに考えても結構です。女はイエスを全面的に信頼して、そして自分をこの人の前にさらけだしたのです。イエスはこの人の愛を全面的に受け入れます。これが和解です。
 自分は性格が良いので人と争ったり、人から嫌われたりなどは決してないと自慢する人に出会います。一生涯で一度も人と仲たがいしなかったり、誤解を受けなかったりなどはありません。問題を避けて回って一切発言しないと人たちでも、丁度そのことのために痛烈な非難を受けるものです。自分の弱さに負けて思いもよらぬ過ちを犯したりすることはざらにあります。石川達三の小説に「青春の蹉跌」という本があります。楽しく、そして希望に溢れる青春を夫々が生きているようであって、夫々が傷つき、そして青春に戸迷う姿をありありと描きだしています。自分の醜さ、自分の弱さ、これらは自らが潔く生きるための最大の契機となるものです。それに気づいた時に頭を深く垂れて赦しを願うことです。頭を深く垂れる行為ができるということは、人を赦すことができるようになるということを意味しています。赦すことを繰り返すことで、人間として成熟し、更に人を愛する力となります。

U期 第一回  イエスの洗礼   講師:溝部司教
−マルコ1、1−13−
 洗礼者ヨハネという人がユダヤの人々に洗礼を授けていました。そこにイエスが現れ、彼から洗礼を受けたのです。ところが洗礼者ヨハネは、自分の授ける洗礼はイエスが授ける洗礼に比べると大した意味はないと宣言したのです。今回イエスが授ける洗礼とは何かをご一緒に考えることとしましょう。

1)「ヨハネは(荒れ野に現れ)、らくだの毛の衣を着て、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜を食物としていた」(4-6)。

 洗礼者ヨハネは砂漠で修行者の生活をしていました。彼は自分に厳しく、砂漠の孤独を生き抜く修行僧でした。最小限の食事と苦行を自分に科し、求道の生活を送っていました。そして、彼の名声を聞いて訪れる人々に「くいあらための洗礼」を授けていました。「くいあらため」とは、自分の今までの考え方を変えて、それによって生活全体が変わることをさしています。今までの考え方とは何をさしているのでしょうか。人は常に自分を中心として考えます。“わたしが、わたしが”と主張しがちです。自分が中心ですので、それを傷つけることを極端に嫌がり、傷つけられた時には徹底して対抗したり、陰湿ないじめをしてしまいます。それもこれも全てに自分が中心だからです。自己中の考え方を変わるために洗礼を授けるとヨハネは伝えたのです。
 自己中心でない生き方とはどんな生き方のことを指すのでしょう。洗礼によって何が与えられるのでしょう。ヨハネは「罪のゆるし」が与えられると宣言したのです。ここでいう「罪」というのは、自分中心の生き方のことをさします。洗礼によって自己中の生き方から変わって、神様中心の生き方に変わるというのです。神様を土台においた生活に変わる、これが洗礼の恵みだというのです。以前にも罪ということを勉強しましたが、罪とは自分が中心であり、自分本位でものごとを判断した結果生まれてくるものです。ヨハネは、だから自己中心の生活から何としても神様中心の生活に変わらないといけないと説いたのです。
 神様中心の生活とは、人間の生活の全てに神様という次元をおくことです。職場においても、神様が真中にあって、一緒に働いている同僚の中に神様をみつけることができるのです。幼稚園に通う子どもの中に神様のすばらしい働きを見ているのです。結婚生活だって同様で、一緒に暮らす夫や妻、子どもたちに神様を見ているのです。洗礼とは、神様を中心とする生活に変わることを意味しているのです。

2)「わたしは水で洗礼を授けたが、そのかたは聖霊をもってお授けになる」(8)。

 宗教は「救いに到る道」とも定義されます。どのようにすれば今の自分から解放されるか、どのようにすれば救いに到ることができるかを説いているのが宗教なのです。ここで「自力」と「他力」ということが話されます。「自力」とは自分の力によって救いの道を歩むことに力点をおきます。「他力」は神の手に自分を任せる信仰に力点をおきます。仏教の話をすると、荘厳な儀式と、荘重な祈りが荘大な伽藍に響き渡る伝統仏教があります。あるいは山に籠って厳しい修行を行う山岳仏教のようなものがあります。永平寺の修行僧などを連想します。これらはどちらかと言えば、自分の力を試して、悟りを得ようという傾向です。これらの仏教に飽き足りない人たちがその後現れます。「救いに到る道」はもっと市井にあり、たくさんの修行より念仏を唱えて毎日の生活を人々と共にすることの方が大切であると考えます。こうして例えば、「南無阿弥陀仏」と手を合わせて仏の情けにすがる他力信仰を強調します。
 キリスト教の話をしましょう。バチカンとか、ヨーロッパの大きな教会を考えてみてください。大きな教会で荘厳なミサ典礼が行われ、恍惚となるような賛美の歌が流れ、ステンドグラスに照らされて特別な空間を聖堂がつくっています。ところが16世紀に入り、市井の生活とかけ離れた聖堂という空間に矛盾を感じる人たちが現れます。彼らは、大事なのは神と私との交わりであり、それを妨げると思われるものを排除しました。聖書と信仰で十分だと主張したのです。
 洗礼者ヨハネは修行僧のように厳しい生活をしていました。ところが彼は、それでは人々の救いになるとは思っていなかったのです。「自分は水で洗礼を授ける」が、「次に来る方は聖霊と水」によって洗礼を授けるから、彼は自分より偉いと宣言するのです。水は人をきれいにしたり、人に生きる喜びを与えたりします。その水を受けることで、神様の助けによって神様中心の新しい生き方に変っていくのです。ただし、ヨハネが水を授ける時に、神さまが自分を清めて下さると心の中で信じることが大事になります。
 ところがイエスの洗礼は、水そのものがその人をきれいにし、新鮮な喜びをその人に与えるというのです。ヨハネは信じる心で清められると述べています。しかし、イエスのは、信じる心を否定している訳ではありませんが、水そのものが効力を発するのです。聖霊がその水を通して働き、その人を中から変えていくからです。「聖霊が鳩のように自分の上に降ってくるのをごらんになった」とマルコは描写しています。人を変えるのは神様であり、人が信仰を持つか、持たないかということが条件ではありません。信仰そのものも神様が下さる恵みなのです。ヨハネの洗礼は重点をその人の信仰においています。イエスのは神様においているのです。たくさんの苦行、修行よりも、神様がしてくださるという信念の方が大事になります。だからヨハネは、イエスの方が偉いと言っているのです。
 
3)「他力」と「自力」

 「他力」と「自力」について後少し理解を深めるようにしましょう。人間は本来罪深いものなのです。後日、どうしてこんなに人は罪深いのかを掘り下げていく必要があるでしょう。三浦綾子の小説に「氷点」というのがあります。美しく、気高い少女陽子は、自分も罪に汚れた家の血筋にあること、逃れることができない罪の構造の前に人生を生きなければいけないことをいやという程体験させられます。その時に人間を超えた存在に頭を下げるのです。この方しかいないという信念、これこそ他力信仰の源となります。宗教の基本は他力です。人間が自分の力に過信している限り、決して宗教の道は開けません。
 しかし、「他力」にすがる方法が多々あり、各々の宗教によってその表現の仕方が異なります。大きな伽藍で荘厳な祈祷を捧げることで、神にすがるということを表現するかもしれません。市井にあって、妻子を持ち、出家する道を選ぶかもしれません。弥陀の慈悲にすがり、念仏を唱えているかもしれません。グレゴリオ聖歌が流れる大聖堂でこうこつとした悦楽に耽っているかもしれません。幼稚園で子どもとの生活そのものに、神の手を感じ続けているかもしれません。ホームレスの人たちに炊き出しをしたり、外国人の世話をしているかもしれません。どれを選ぶかはあなたにかかっています。ただ一つ言えること、それは人間は自分一人では生きられないということです。また、人間同士幾ら信頼できると自負しても、それは崩れやすいものであるということです。
 私はカトリック教会に一生仕えるつもりで、一途にこの道を歩み始めました。教会に入っていなかった父母をこのことのために苦しめたと今は思っています。純粋で、そして真っ直ぐにこの道を歩み続けていました。しかし、勉強のために送られた場所がローマであり、カトリック教会のお膝元だったことが、私の大きな躓きとなったのです。サン・ピエトロの大聖堂で繰り広げられる荘厳な儀式、華麗な服装に飾られた教会の高位聖職者の群れ、頭にかぶったミトラ、手に持つ儀杖など、若かった私にとっては嫌悪感を催す以外の何ものでもなかった。自分が生涯を賭けて生きる価値がこんなものなのかという大きな不安でした。これらの問題を乗り越えるために、どのようにしてパリを訪れ、そこで何があったかは以前話しましたので、これ以上繰り返す必要がないでしょう。問題は大きな聖堂とか、荘厳な儀式とかということではなく、それらを通していかに神にすがっていく信仰心を培うかにあります。いかなる方法をとっても、もし真に人を超えるお方にすがるという気持ちがなければ、宗教に入っても道は開けません。

U期 第二回  イエスの弟子たち   講師:溝部司教
−マルコ1、14−20:2、13―17:3、13−19−
 イエスは、ガリラヤの湖のほとりを通り、そこで漁をしていた若者たちをお召しになります。そこで最初の弟子を選びます。次いで「罪人」の部類に入っているマタイを選びます。12使徒の名前を見ていきますと、弟子たちを選ぶイエスの基準が見えてきます。これは、私たちが選ばれる基準ともなるのです。

1)「湖で投網をうっているのをごらんになった」。

 1章で選ばれている4人はいずれも漁師で、現場で仕事をしている人たちです。例によって、イエスは彼らをみつめます。イエスは必ず1対1の出会いをなさいます。10羽1からげには扱いません。これが出会いの秘訣です。大きなエベントをしたから出会いが深く行われるとは私には思えません。イエスは一人ひとりから始めます。私も教育者として長く働いたという自負があります。しかし、本当に学生の一人ひとりとしっかりと向き合ったかと問われると自信がありません。何か大事なことをしようとする時には、まず自分の周りにいる人たちをしっかりと見つめることです。
 選ばれた4人は決してエリートではありません。きっと腕っ節の強い、陽に焼けたたくましい男たちではなかったでしょうか。何かをしたい時に、私たちは、頭が良い、気質が柔らかい人を選びたがります。人間の選択の基準は、常に自分の思う通りになる人なのです。イエスの基準は少し違うようです。荒削りだけど、真摯に人生にぶっつかっていく若者を選びます。しかも、この人たちはいずれも仕事の真最中に選ばれています。暇があるからとか、人生の余禄を賭けてみようかなどという人を神は選びません。仕事をしっかりとこなしていなければ、選ばれても常に迷うばかりで、神が望むことを実現できないからです。付録の神さまと言う表現がありますが、そのように考えている人が、暇ができたからボランティアでもしようかというのでは、神様の選びの対象にはなりません。
 マタイの召命(2章)についても上記のことが言えます。彼は徴税人であり、ユダヤの人々から一番嫌われている種類の人間であり、「罪人」といわれている人でした。 「レビが徴税人の事務所に座っているのを見て」と書かれている通り、現役の徴税人なのです。イエスはその徴税人を弟子として選びます。普通の人なら敬遠するはずの人をイエスは選びます。何故でしょう。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である」と、その理由を説明しています。被差別の人間であり、人の悲しみを知っている人をイエスは選ぶのです。底辺の人の哀しみをよく味わった人がイエスには必要だったのです。

2)3章に見られる使徒たち

 3章に見られる12人についても考察してみましょう。「シモンと呼ばれるペトロ」は、短気な、喧嘩っ早い漁師でした。先生であるイエスを一番困らせる弟子でした。死んでも裏切らないと公言して、すぐ直後にイエスを否認してしまいます。福音書は、ペトロをどのように教育したかを書くためにあるようです。しかし、その欠点があるからこそ、イエスは彼を弟子の筆頭として選ぶのです。「ゼベダイの子ヤコブとヨハネ」は「ボアネルゲス、すなわち雷の子」というあだながつけられていました。雷が突然光るように突然怒りだし、手のつけようもない性格の荒さがあったのでしょう。彼らの兄弟喧嘩は弟子たちの間では有名だったのでしょう。彼らの母親は、現代風で言えば教育ママの走りのようなもので、イエスの許に赴いて、彼らを弟子の筆頭にするようにお願いしたのでした。「アンドレ、フィリッポ、バルトロマイ」とつづきます。アンドレは、計算高い男としてパンの増加の箇所で描写されています。フィリッポは取り次ぎ人のような役割を常にしています。回りを見回して事態をうまくまとめる世間体に通じていた男だったでしょう。二人とも要領の良さで人生を渡るという性格を持っていました。バルトロマイは、出会いの最初に、イエスはナザレト出身のろくでなしと評論しています。思い込みの激しい、人間関係の面でぎくしゃくする性格ではなかったと思われます。
 「マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ」とつづいています。マタイについてははや述べたので説明はいらないでしょう。徴税人であり、皆から嫌われた人でした。トマスは疑い深い男として福音書に記録されています。現代でもよくあるタイプですが、慎重なのだけど、ひとつ一つにいちゃもんをつけて人から嫌われるタイプです。アルファイの子ヤコブについては余りよく分かりませんが、後にエルサレムの初代司教になった人で、最初に殺される運命にあります。タダイについてはよく分かりません。
 続いて次の人々の名前が登場します。「熱心党のシモン、イスカリオテのユダ、このユダがイエスを裏切ったのである」。当時のユダヤは何とかして、武力でもってしても圧制者であるローマのくびきから逃れたいと願う人たちがいました。この人たちは熱心党と呼ばれていました。熱烈な愛国主義者だったでしょう。国を憂い、祖国の再建に人生を賭けた一人の若者を彷彿させます。それがどの時点でか、イエスに従う道へと変更します。イスカリオテのユダは裏切り者としてとみに有名です。彼は会計係をしていて、お金に目がくらんで先生を裏切ったと言われます。お金だけでなく、打算がたくさん働いた結果だったでしょう。私がここで言いたいのは、彼が裏切ったことというより、そういう弱さを持っている人間をイエスは弟子に選んでいるということです。
 キリスト教徒というと、謹厳実直な人というイメージがあるかもしれませんが、そうではないのです。聖書を読むと、実にくだらない、余りにも悲しい性を有している人たちが主人公ですし、神様は彼らとのかかわりの中で人生をどのように生きるかを伝えているのです。同様にイエスの直弟子は皆夫々が人間の弱さ、性格の悪さを持っていたのです。それでもあえてイエスは、彼らをお選びになります。皆さんも教会に入るには性格の良さが必要だと考えていませんか。自分のような者が教会にはふさわしくないと思ってはいませんか。実際はその逆なのです。

3)「12人を選び、使徒と呼ばれた」

 カトリック教会は12人の使徒の上に建てられています。12人の頭がペトロです。ペトロの後継者がローマ教皇で、他の使徒たちの後継者が各地に広がってキリストの教えを伝えている司教たちです。私もその一人です。使徒たちは、自分の後継者を選び、彼らに按手して、司教にします。その司教は次の後継者に按手して、彼に教会を守り、治める権能を授けます。このようにして2000年間教会には按手の式が行われ、按手された人たちを通して、キリストの教えが伝えられ、教会が純粋な形で守られるように導かれます。「悪霊を追い出す権能を授けて宣教に遣わすためであった」(3、16)と述べられている通りです。考えてみると、これは大変なことです。2000年間、人から人へと、按手によって権能が伝わり、伝統が守られるとは想像を絶するものがあります。私も司教叙階の時に按手を受けました。その時2000年の伝統の重みをしっかりと感じました。伝統ということをとても大切にしているカトリック教会が、少しでもお分かりになれたでしょうか。これがプロテスタント教会との大きな違いともなります。
 ただ伝統に固執すると、いつの間にか保守的になり、新しい時代に対応できないという弊害が起きてきます。あるいは組織にこだわるあまり、権威主義に陥り、およそつまらない宗教になる危険性があります。いずれの場合も、目を現代社会にしっかりと向けて現代の問題に取り組む教会のあり方を絶えず模索する必要があります。あなたが接しているカトリック教会が、つまらない権威主義であったり、意固地な保守主義であったりするならば、イエス・キリストの教えをしっかりと伝えている教会ではないと確信して下さって結構です。
 

U期 第三回  いやし、救い−イエスとはどういう方か、あわれみ、優しさ−   講師:八木修道士
−マルコ1、29-2、12−
 今日読まれた個所の中で、イエスの側近者である弟子たちさえも、イエスをよく理解していなかった様子が描かれています。人々は超能力のような奇跡だけを求め、イエスから出る言葉や愛のまなざし、やさしい語りかけに耳を傾けなかったのかもしれません。

 私は、バングラデシュに行ったことがあります。世界最貧国のひとつに数えられる国ですが、そのバングラデシュの中でも貧しいといわれる地域、そこでは少数民族が生活する集落を訪問しました。少数民族であるが故に、他の人々から差別されています。生活環境も極悪状態です。そこで私は、そんな状態であっても、「あなたはかけがえのない大事な存在です」ということを、そこで出会う一人ひとりに態度や行動で示し伝えていこうと努力しました。ところが、彼らが求めているのは、そういうことではなく、私が日本から来ていることを知ってか、お金や薬、あるいは品物でした。そんなとき、誰からも理解されなかったイエスの気持ち、そして奇跡だけを求められたときのがっかりした気持ちが、少しわかったような気がしました。

 重い皮膚病の人がいやされる場面が聖書に出てきました。今から約20年くらい前に、この高松の沖にある大島の青松園を、数回訪問したときのことを思い出しました。この青松園は、国立のハンセン氏病療養所です。そこで1週間ほど滞在し、そこの草取りや病棟を訪問する、いわゆるワークキャンプに参加したのでした。あるおばあちゃんを訪問したときのこと。やはりその方は、皮膚がただれ、所々体液が出ているような状態でした。暑かったので、缶ジュースをいただくことになったのですが、そのジュースを受け取るときに、そのおばあちゃんの手に触れ、その時とっさに素早く手を引っ込めてしまったことを、後悔の念と共に思い出します。

 中風の人がいやされる場面も出てきます。屋根からつり降ろしてまで、イエスに治してもらおうとする意気込みが感じられます。先ほどの奇跡や超能力を期待するというものも感じますが、イエスに会えば、必ず治る、いやされるという心からの信頼も感じます。
 以前体験したことですが、病気にかかったときに、治りたくないと思えば、本当に病気は治らないものです。風邪をひいて、3日ほどで風邪の症状は全くといっていいほどなくなりましたが、熱が下がらず、1ヶ月ほど平熱にもどるまで時間がかかりました。やはり、治りたい意志が必要です。
 こう考えてみると、イエスが行った奇跡というものは、もちろん神様の力で超能力的なものがあるにせよ、本来その人が持っている治癒力や才能、優しい気持ちや愛の心を、イエスが上手に引き出している、そう考えてもいいのではと思うのです。真の医者やカウンセラーは、訪れる人の治癒力や自己決定能力があることを信じて、それをうまく引き出す人たちだと聞いたことがあります。そういう意味で、イエスも真の癒し人なのでしょう。

U期 第四回  主の祈り   講師:溝部司教
−マタイ6、5-15−
 前回において、祈り、または瞑想の必要性について話しました。今回これと関連して、祈りの意味を深めるために以前読んだマタイの福音書に戻って考えることとしましょう。マタイの6章では、宗教には欠かすことができない要素として、祈り、断食、布施について語っています。イエスはこれらをどのように行うかを問題にしました。

1) 祈りとは何ですか

 祈りはこころの叫びと言ってもよいでしょう。自分のこころにある想い、願いを相手に向けて吐き出すことです。その相手というのが問題になります。誰に向かって吐き出すのでしょう。漠然と知らない相手に吐き出す場合もあるでしょう。しかし、いずれにしても自分と同等の人間に対して祈るということはありえません。その場合は、祈りというよりお願い、または会話といったらよいかもしれません。祈る場合は自分を超えている何者かと話す、またはすがる行為になります。
 神社に初詣をしてお賽銭をあげて、お祈りをして清清しい気持ちになって、今年も一年がんばるぞという決心をする方も多いでしょう。この時やはり私たち人間より上にある神様にお願いしていると思います。その神様が誰であるのかよく分かっていないのが、大体の日本人でしょう。キリスト教では、神様を人格神と呼んでいます。人格を英語で”Person”と言います。人としての品位と能力を備えた人と説明してもかまわないでしょう。まず考える力があること、愛することができること、自分で決断する能力があることなどがその条件に挙げられます。わたしたちは皆その条件を満たしているのであって、私たちは“Person”の部類に入ります。神様も”Person”であって、考え、愛し、自由に決断するのです。だから神様のことを人格神と呼んでいるのです。私たち人間は、この神様の人格に与って、考えたり、愛したり、自由に決断できるようになっているのです。それは、そのように神様がお望みになって人間を創造したからです。
 ここから祈りという意味が分かってきます。祈りは人格と人格のお話しなのです。人間も神様も一人の人格者として対話をしているのです。自分の考えを述べ、相手に向かって自分を開き、自分の望みを伝えるのです。それは感謝のことばであったり、嘆願であったり、感想であったりと、種々の祈りが考えられます。心から出る祈りを忘れて、形式的な祈りを義務的に行う人々に対してイエスは厳しく諌めたのでした。

2)「天におられるわたしたちの父よ」

 主の祈りの最初に「父よ」と叫びます。「父よ」は少し固い感じですが、アラマイ語の「アバス」という単語はもっと親しみのある父親への呼びかけです。“父ちゃん”、または“おやじ”くらいに考えると良いでしょう。祈りは天の神様に向かって“おーい、おやじ、何とかしてくれよ”と叫ぶところから始まるのです。遠い所にいる神様ではなく、身近にいて、親しく語り合う神様、話し合える人格神なのです。これなら毎日どこででもお祈りができます。朝起きて“さー、がんばるぞ、親父”といえば良いのです。仕事を終えて帰る時、“オヤジ、がんばったぞ、ほめてやってくれ”、または“今日一日ありがとう”と言えば良いのです。祈りはとても簡単なものです。これを何度も繰り返す中に私の生活が潤ってきます。
 
「み名が聖とされますように」。     名前はその人の存在を表しています。
ここでは神様という存在が、聖なるものとして崇められますようにとお祈りをしているのです。私のことばかりをしゃべるのが祈りではありません。私を超えた存在、あなたに向かって“あなたこそ私の神”と崇めているのです。すぐこれをくれ、あれをしてくれと要求ばかりをするのが祈りではありません。

「み国が来ますように」。        神様は世界を創造し、特に人に目をかけて必要な恵みを与えてくださいます。神様が望む国は、人々が平和と調和の中に生きることであり、愛し合うことなのです。自然を大事にし、鳥や生き物を殺生することなく、互いに育むいのちを大事にする平和の国を求めるのです。現代は殺伐とした争いに満ち満ちています。だからこそ神様が支配する平和の国が実現しますようにお祈りするのです。ここでも、自分のおねだりだけをする姿勢は見られません。

「みこころが天に行われる通り地にも行われますように」。     自己中心の考え方が当然である私たちに、神さま中心の生き方があることを以前学びました。「くいあらためる」とは、自分中心の考え方を、神さまが考える見方に変えていくことです。神様が考える見方とは何でしょう。神様は人を創り、その人の幸せを求めます。ところが人間は業悪なもので、その恩を忘れて自分ひとりで生まれて育ったかのように、傍若無人に振舞うようになります。それでも神様は人を見捨てないで、その人のために自分の大事な息子を送って諌めます。それでも彼は神様の愛に気づかず、結局彼の息子を殺してしまうのです。その息子を聖書はイエス・キリストなのでると教えています。

 以上でお分かりになったことでしょう。祈りの基本は、あれくれ、これくれという願い事ではなく、自分を創り、自分を愛し、全てを与えて下さった神様に向かって、“あなたこそわたしの全て”と宣言することです。神様が望む通りの世界が実現しますようにと祈るのです。

3) 祈りは神様にお願いすることである。

 「わたしたちの日ごとの糧を今日おあたえください」。     それでも祈りには私たちのお願いが含まれています。3つのお願いです。一つは心身の食べ物を願います。生きるためには心身の糧が必要です。二つ目は罪のゆるしです。「わたしたちの罪をおゆるしください・・・罪からお救いください」と主の祈りは結ばれています。三つ目は自分の力を超える試練にあわさないでくれという願いです。「わたしたちを試みにあわせず」と言われています。この三つのいずれも、金持ちにしてくれとか、受験に成功させてくれとか、良いところに就職するとかといった現世での利益を保証しているものではありません。争いがない、平和の国を実現するために、わたしたち自身が神の愛と恵みに満たされて豊かな人生を生きることが大事なのです。神の国の実現のためには、私たち自身が自分の過ちから立ち上がり、くい改めていかなければなりません。自分が弱く、哀しい存在であるきことを自覚しているので、自分の力を超えた誘惑にさらさないように祈るのです。

主の祈りの前半は、神様あなたがすべてということでした。後半は、その神様の手の中に生きることで、神様が望む神の国の実現に協力できるように祈ります。仕事をしていて、自分が失敗する時、神様の手の中に委ねるのです。うまく成功したとき、神様ありがとうと感謝するのです。「神さまといつもいっしょ」という歌がありますが、その通りなのです。今日出会う人たちは神様が下さった宝なのです。大事にしなければなりません。クラスのこどもたちは、かけがえのない神様からの贈り物なのです。祈りは人生で起こるすべての出来事に、神様を感じる心です。それを口に出せば、祈祷となり、心の中で祈れば念祷となります。カトリック幼稚園で働いている方々がここには多いのですが、子どもたちに今度は「主の祈り」の本当の意味を教えてあげてください。

U期 第五回  あえてタブーに挑戦するイエス   講師:溝部司教
−マルコ1、29−2、12−
 悪霊につかれた男を癒す場面(1、21−28))から、この一連の物語が成り立っています。イエスの一日の生活を追いながら、彼の生活の根本にある考え方とは何かを探っていくこととしたい。

1) ペトロの義理の母とハンセン氏病の人の回復

 ペトロの義理の母が病気で寝ていました。そこでイエスは彼女に近づき、手をとり起き上がらせ、病気を治します。その日の夕方になり日が沈んでから、人々は病人を彼の許に連れて来ます。別に何の問題もないようですが、ここには重大な問題点がありました。どこにあると思われますか。
 まず、男性であるイエスが女性のからだに触れます。中近東の社会を想像してみてください。現代だからと言う人がいるかもしれませんが、中近東では、女性は男性の前に決して肌を見せることをしません。イエスはこのタブーを完全に無視します。女性だからというのでなく、一人の自分を求める人として彼女を見ているのです。更にもう一つのタブーがここにはあります。「夕方になって病人を連れてきた」と言われているからです。ペトロの義理の母を治した日は安息日だったのです。ユダヤでは、安息日には、いかなる労働も許されていませんでした。あえてそれを破ったのがイエスでした。彼にとって「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない」(2、28)という信念があったからです。大事なのは、苦しみを背負った人、目の前にいるその人なのです。書かれた法律を後生大事に抱えている人々にイエスは公然と挑戦したのです。
 1章40節から、ハンセン氏病の人の癒しが話されます。ここでもあえてタブーに挑戦するイエスの姿が描かれています。皮膚病を患っている人々は被差別の人たちであり、隔離された場所に生活しなければなりませんでした。ところが、この病人は人々が居る町に単独で入ってきているのです。それだけでも十分掟に反していて、人々が白眼視する中で、彼は一途にイエスに出会いたいと願います。イエスは「哀れに思い、手をさしのべてその人にさわり」(2、41)お治しになります。イエスは、この人の信仰、そして勇気を誉めます。それだけではなく哀れんで、その人に触れます。当時の掟では、死人にさわったり、皮膚病の患者に触れたりすると、清めの式を行わなければなりませんでした。女の人の生理の時は血が流れるということで不純とみなされて、神殿に上ることもできませんでした。イエスは、そんな掟を完全に無視します。彼にとって大事なことは、今目の前で助けを求めている、このハンセン氏病の人でしかなかったのです。イエスの一日の生活は、苦しみや病を背負っている人々との出会いの連続でした。よくよく考えてみますと、私たち人間の一日の一番大事な仕事は、どのように人と交わり、人の哀しみに触れ、それを癒すことではないかと思われます。他の仕事の効果は、これがなされていれば、ついてくるものです。

2) 中風の人のいやし

 2章に入るところで、「中風の人」の話が載っています。ある中風の患者さんが寝床ごと4人の男に運ばれて、イエスが泊まっている家に連れて来られました。ところが家の前に来ると、何とたくさんの人がいて、中に入ることができませんでした。運んできた人たちはおそらく青年だったのではないでしょうか。寝床を屋根の上に持ち上げて、瓦を外して屋根から寝床をつりおろしたのです。何て非常識なのでしょう。きっと順番を待っていた人たちはぶうぶう言ったことでしょう。これを見てイエスは叱責するどころか、彼らをほめたのです。何を誉めたのでしょうか。「彼らの信仰を見て」と説明をマルコはしております。
 聖書の話はその物語をまず描写することから始めてください。それから、それを今の自分たちの世界に起こる出来事として描写し直してください。そうすれば、きっと内容がはっきり見えてくることでしょう。私は最近お年寄りに会う機会が多くあります。自分の周りでも種々の病気で倒れている人たちに出会います。私も明日はどうなっているのか分かりません。明日、脳血栓とか、くも膜下に襲われて、右半身が不自由になっていたり、言語能力が失われたりしているかもしれません。“かもしれません”ではなく、私の年齢ではそうなる可能性が高いのです。その時この病人の私を抱えた家族はどうするでしょう。右往左往して、あーだこーだと話し合っている姿が想像できます。わらをもすがるとはこの意味でしょうか、わらの下に木片でもあると信じて、おぼれる人はそれにすがるのです。そのまま沈んでしまうかもしれません。それでも、何とか治してくれる医者が居ると聞くと、どんなに遠い所までも探しにいきます。この中風の人の家族もそんな気持ちだったでしょう。イエスというお方が、病気の人を癒すという噂を聞いて、急いでやってきたのです。もう待つ順番とか、手順とかを言っている余裕はありません。こうして屋根に上り、瓦をはがして寝床を中につりおろしたのです。このように考えていくと、礼儀とか、手続きとかはどうでも良いことに気づくことでしょう。イエスがほめたのは、こんな手続きを無視してでも、この中風の人を助けないといけないと望んだ人たちの思いでした。がむしゃらですが、しかし、どうしてもしてもらいたいという断固とした願望を持ったことです。これを信仰だと言っています。
 イエスは普通の常識にさえ挑戦しているのです。これで彼が何を大事にしているかが、よくお分かりになるでしょう。私たちは組織とか、事業の運営ばかりに気をとられて、そこに生きる人ということを考えることが余りにも少ないのではないでしょうか。これができるには、何が必要なのでしょうか。
 

3)「朝早く、まだ暗いうちに起きて、人里離れた所に出かけ、そこで祈っておられた」(1、35)

話をイエスの一日の生活に戻しましょう。1章35節から始まる箇所では、イエスはどんなに忙しい毎日でも、朝早く祈ることから一日を始めています。夕方になって人々は病人を伴って彼を訪れているので、きっと前の日は遅く休んだことでしょう。それでも彼は朝早く起きて、祈りに行きます。また新しい一日はタフな精力のいる仕事が待っているのです。だから、せめてもう少し長く休めばと普通に私たちは思い勝ちですが、イエスはそうはしません。困難な一日の始めだからこそ、朝早く起きて祈りに行くのです。
インドの聖女と呼ばれる人にマザー テレザがいます。彼女は毎日カルカッタの町に出て行って、死にゆく人のそばに居て、最後を看取っていく仕事をしていました。“あなたに生きていてもらいたかった”というたった一つのメッセージを与えるために町を巡り、誰も看取ってくれる人がいないこれらの人に、最後の言葉をかけたのでした。夜遅くまでかかる仕事でもありました。汚濁と人々の無関心、時々は侮辱のことばを耐えての仕事でした。その彼女は毎朝早く起きて、1時間の黙想を行っていました。黙想とは、黙って祈りに耽る行為で、座禅と言ってもいいでしょう。一時間彼女は完全に一人になったのです。その沈黙の時間の中で一日を生きる力を得たのです。祈りこそ、彼女を支えた力だったのです。
私も毎日30分黙想を行っています。座って、香をたいて、ローソクに灯をともしてじっと座ります。非常に落ち着いた気持ちになるし、これがなければ、一日落ち着きません。私はこれを始めてはや50年になりますが、はや私のからだの一部となっていると感じることがあります。黙想の最初に、今日すべきことは何か、今日出会う人は誰か、どんな会議があるか、何を教えるかなどのことをチェックします。黙想の最後には、今日出会う人のために短い祈りをします。皆さんも試みてください。カトリックの幼稚園でしたら、聖堂があるはずです。出勤する時にほんの5分聖堂で静かになってみたらいかがでしょうか。勤務を終えて帰る時、聖堂に5分座って一日を感謝したらいかがでしょうか。ほんの短い時間でも、自分を振り返る余裕を持つことは人生をとても豊かにします。そして、イエスのように大事なことに挑戦していく勇気も頂けます。

U期 第六回  ことばの力 −種まきのたとえ、ことばの暴力−   講師:八木修道士
−マタイ4、1-34−
1)種を蒔く人のたとえ

 しばらく山や家の中の光景が続いたが、舞台は再びガリラヤ湖の湖畔に戻る。群衆がイエスに近づこうとするのは、イエスの体に触ることによって病気をいやしていただくためであった。今イエスは水上におられて触ることはできない。今イエスと群衆をつなぐものは聞こえてくるイエスの言葉だけである。人々はイエスに直接触れて力を受けたいという熱意を、イエスの言葉をきくことに向けなければならない。
 伝えたいことの中で、言葉の占める割合はいくらだろう。あるアメリカの研究者によると、無声(しぐさ、視線、まなざし、顔の表情、身ぶり、身構え、行動)は55%、有声として口調、音速、音色、音質は38%、ことばは7%である。以上のことからすると極端だが、聖書の言葉から7%が伝わり、残りの93%の部分(表情、まなざし、視線等)は我々の想像によるのかもしれない。
 水に向かって「バカ」をくりかえし言う水と「ありがとう」をくりかえし言う水の二つを用意し、それぞれの結晶を見てみると、「バカ」の方は、崩れたものになり、「ありがとう」の方は、美しいきれいな結晶になる。言霊とは、一般的に日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のことであるが、この水の実験が立証しているかもしれない。

2)たとえを用いて話す理由

 当時のユダヤ教という背景から見る時、イエスの譬は全く新しいものである。イエス以前の時代のユダヤ教においては、ラビたちが譬を用いて教えたことはユダヤ教文献にはほとんど何一つ伝承されていない。律法学者たちは律法の多くの規定の解釈や適用の仕方を事細かに研究することに明け暮れており、それを民衆に教えて遵守を求めるだけであった。イエスは「律法学者のようにではなく、権威ある者として」、ご自分の中に聖霊によって到来している「神の国」の現実を端的に語り出された。その際、その内容を民衆に呈示する器として、また批判者に対する反論の武器として、生活者であれば誰でも理解できる用語である譬を用いられたのである。象徴とか比喩は抽象的叙述よりも強い印象を記憶に刻みこむことは一般に承認されている。

3)「種を蒔く人」のたとえの説明

 それぞれは、御言葉を聴く者の態度や状態であり、道端は踏み固められた頑なな心、鳥はサタン、石は患難や迫害、根がないのは熟慮のない浅薄な心、茨はこの世の思い煩いや富の誘惑やさまざまな欲望、最後の良い土地と豊かな実は、正しい信仰心とそれによって生じる信仰生活。
 御言葉とは、神さまの考えやものの見方、価値観。神さまの価値とは、脳の力ではなく、心の力であり、あまりにも世の中の価値観と違っていたため。人々は、理解できなかった。
 たとえば、律法の時代にあって、誰もが(病人・障害者)かけがえのない大切な存在であること、そばにいる、同等の神さまであること、過ちを責めず、ゆるすこと、ありのままを受け容れること、仕えること、与えていく、しかし大きなものを得る事等。

4)「ともし火」のたとえ、ひかりの到来

 「ます」というのは本来穀物を量る器である。窓や煙突のない小さな一部屋の農家では、ランプを吹き消すといやな煙や匂いがたちこめるので、「ます」をかぶせて消したといわれている。そうするとこの譬は、「夜になって部屋の中にランプが持ってこられた時、すぐにますをかぶせて消してしまったり、寝台の下に置いてあかりを隠すようなことをするであろうか。それは燭台の上に置かれて、夜のあいだ家の中のすべての者をあかるく照らすではないか」という意味になる。弟子たちが立派な行いによって自分の光を人々の前に輝かすように求める譬であり、弟子たちが内面の光を消さないように警告する譬。この譬は本来は弟子の心構えを諭すためのものではなく、イエス御自身の中に到来している「神の国」→「神さまの価値」を語るための比喩であった。このことは、「人があかりを持ってくる」のではなく、「あかり(自身)が来る」ということ。

5)聴くということ

 「聴く」ということは最高の親切だといわれる。一生懸命聴いてもらうことによって、自分が大事な存在であることに気付く最良の方法だといわれる。いのちの電話で。相談員を務めていたが、悩みそのものが苦しいのではなく、聴いてくれる人がそばにいないことがつらいということを相談者から感じた。人は苦しいことが心にあるとき、それを聴いてもらうだけで落ち着く。本当に自分がまいっているとき、もう自分が自分について冷静に考えられなくなってしまうもの。そういう時にこそ、聴いてくれるもう一人の人が必要。たとえ聴く人が私たちの問題について解決策を与えることができなくても私たちの苦しんでいる事柄を聴いて、分かち合ってくれることによってその苦しみが軽くなってしまうもの。聴いてくれる人が、私たちに対して尊重してくれたことと理解してくれた姿勢というものが私たちを安心させる。
 神様も姿は見えないけど、このように私たちの祈りに一生懸命耳を傾けてくださっている。出会う人々を心を込めて「聴く」ことによって、その人の素晴らしさを引き出す同伴者となれる。

6)「からし種」のたとえ

 「からし種」は、コショウの粒のような大きさ。その目にもとまらない「からし種」が成長すると二メートル半から三メートルの高さになる。旧約聖書では、空の鳥が巣を作るほどの枝を張った大きな木は、広い世界を覆う大帝国を象徴する譬。将来の神の国、神の支配がおよぶ世界を譬えている。

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