レポート>高校生の集い 於 高松四国カトリック会館 
     (’07/01/20〜21)
高松教区高校生のつどい   ’07/1/20(土)、21(日)
集まれ高校生 何かを発見しよう!
 テーマ:いちばんたいせつなこと
(教科書では習わない○○○○)
1.溝部司教ミサ説教 1月21日(日):桜町教会にて
2.参加高校生たちの感想
3.写真集
  
1.溝部司教ミサ説教:コリント1(12:12−30)
 昨日から教区の高校生が集まって「大切なことについて」ということで話し合いを行っております。皆さんにどういう話し合いが行われたかということと,今日の主日の聖書の朗読と合わせて考えることにいたします。いつもよりも5分ぐらい長くなりますがお許しください。

 昨日Br八木が最初にした話のテーマですが,自分の前にいる人が強烈に自分をアピールして認めて欲しいと訴えているのに,一生懸命に自分の計算ばかりしている自分を見いだすというゲームから始まりました。自分の頭で考えて自分だけで解決しようとして,前にいる人が発しているオーラに気づかない,こんな自分に気づきなさいよというゲームでした。考えてみますと,同じ事を私たちもしているのではないでしょうか。大切なことは,今目の前にいるこの人が伝えていることに自分が関わらないということ,ここに問題があるということです。現在教会に若い人が来ないとか,たくさんの嘆き節が聞こえますが,たぶん,若い人が発しているオーラに全く気づかない大人が一杯いるということではないでしょうか。
 それから,2番目にビデオを鑑賞しました。「しゃべり場10代」のトーク番組ですが,その中で非常に重い病気を抱えた弟を持っている高校生のお姉さんが涙ながらに話していました。彼女が言ったのは,弟は何も言葉も発しないけれど,そこにいるだけで自分は力を得ると述べておりました。"そこにいるだけで",私たちに生きていて欲しいという訴えをしているのだとこんな番組です。彼女が言うのには,生きるのは何かとかいうことを難しく議論するよりも,文句なしに生きているということの方が大事だということでした。すなわち,口ではなく生きるということなのだと。全く同感でした。また彼女はこんな事も言っていました。たくさん何かをしようとするのではなく,そばにいるだけでいいのだ。高校生,馬鹿じゃないなとつくづく思いました。私たちは幸せになろうと必死になってもがいております。何かをしてあげないといけないとか,何かをしないといけないという錯覚に陥ります。何かをしたら仕事をしたという,こんな錯覚です。そして,自分がしたことに相手が応えてくれないと,相手を恨んだりねたんだりするどうしようもない人間の性(さが)がこのへんにあるような気がします。この女子高生が言うように,そんなことよりそばにいるという生き方に徹する,これが大事なのかもしれません。
 第3番目に,Br八木はこういう問題提起をしました。自分の母親で一番の思い出になることを,みんな話してご覧なさいということでした。大概の話は,自分が病気になったり,あるいはがっかりしたときにこそ,母親の優しさというのを身にしみて感じたということでした。すなわちこの高校生達は,母親が損得を抜きにして子どもに関わっているという姿に感動していると言えます。損得を抜きにして,相手に自分の持っているもの,時間とか労力とか愛情を惜しみなく注いでいる。これは子どもにとっては最高の母親の思い出であるという風にもまとめることができます。最後にBr八木はこういうことを言いました。もらうのが当然であった自分に,与える喜びを教えてくれた母親に感謝したいと。同じ事を私たちも言えるかもしれません。私たちが教会に来たのは,もらうためにだけ来たのではない。与えるために来ているのだということ,こういう自覚から私たちの教会が生まれてまいります。
 そして最後に,今日の第2の朗読パウロの手紙について話し合いを持ちました。その前に,ヨハネの6章,「パンの増加の奇跡」という話がBr八木からなされました。こういうことです。イエスさまは5000人の人にパンをあげるために,パンをどこかから持ってきなさいと弟子達に命令します。ところが,誰もパンを出してくれないのです。一人の少年だけが大麦のパン5つを差し出します。大麦のパンというのは,奴隷もしくは貧しい人が持って食べているパン,小麦のパンは裕福な人が食べるパン,すなわち少年は貧しい少年なのです。その少年は持っているもの全部を差し出します。皆のために役立ててくださいと差し出す。ところが大人達は,パンは全部自分のために持っていて,いっさい差し出さない。でも,その少年が自分のパンを全部差し出すのを見て,自分を恥じてそして自分のものを出していったとBr八木は説明しました。聖書的にいい解釈かどうか分かりませんが,とてもいいヒントがあります。みんなが出し合ったので,12のカゴにパンが一杯になったというのです。奇跡はパンが増えたことではなくて,自分のためにだけ持っていたパンを喜んで人のために出した,その心が変わった,これが奇跡なのだというのです。自分のパンばかりを考えて,もらい根性さながらにもらえるものはもらう,いっさい自分からはあげない,これが汚い根性です。ここから,喜んで自分の持っている才能,時間,労力これらを全部捧げていこうという気持ちになる。これが奇跡であるという解釈です。

 ここで最後です。今日のパウロの手紙によると,一人ひとりは自分の役割を持っています。それは,説教する人の役割だから偉いのだとか,先生だから偉いのだとかということではない。みんなそれぞれの役割を果たすことによって,全体が生き生きとしてくるという見方をしております。昨日の晩はこの第2の朗読を読んだ後,ロウソクの火をじっと見つめながら,どの言葉が一番自分の心を打ったかということを繰り返しながら話を続けていきました。その意味で昨日の夕の祈りは見事だったという印象を持っております。

 長くなりますので,報告はこのぐらいで終わりましょう。高校生の皆さんは,昨日やった全部のまとめがここにあると考えてもいいと思います。同じようにここにおられる信者の皆さん,宣教とか教会とかいろいろな話があります。でも問題はあなたが自分の何を出すか,ここにあります。あなたがもらうことを考えている自分から与えるということにどのように変わっていけるか,これが大事な課題なのです。これを,「メタノイア」,回心と呼んでおります。もらい根性から立ち上がらないといけないよというメッセージがここにはあります。私たちの主人であるイエスさまは,ご自分を自分の友のために,私たちのために全部差し出したからです。私たちは,これを信じているから教会に来ました。これを信じて洗礼を受けました。ほかの理由は何もありません。教会に来たのは与えることを誓うために来たのです。好きなもの同志が集まって愛するなどというのは,大したことではありません。これは,キリスト教とは遠い世界のことと言っても良いと思います。あなたは,誰のために,どのような形で,何を与えるか,真剣に考えてみる必要があると思います。自分の全部を投げ出してしまったらどうでしょう。私たちはキリスト信者として,イエスさまの生き方を是としたからこの信仰に入りました。これを自覚するということから信仰が始まります。

 若いみなさま,高校生も含めて,自分の人生は何のためにあるのか。教会でこうして集まったというのは,与えるという喜びに自分の人生を変えていく,その道を選んでいくためなのです。こんな事をしっかりと考えてみるようにいたしましょう。

 

2.参加高校生たちの感想
 
 1泊2日という短い間だったけど、私は命の尊さ、人に出会えた喜び、心からの感謝の気持ちなどを知ることができました。自分が今まで考えていたよりも、はるかに一つ一つ重みがあり本当に大切であることを学びました。自分の良い部分をどんどん出していけるように、日々優しい心を持てるよう自分を見つめ直そうと思いました。ひとりでは生きていけない人間だからこそ、支え合っていく必要があるのです。自ら、人のために何かを与えていき、元気になってもらいたいと思う。そして、そんな人々が増えていくことが、みんなの幸せになると思います。 −河合しほ−
 
 昨日と今日の2日間、みんなと一緒に過ごして、新しいことにたくさんふれました。新しい人と出会って友達になり、たくさんの勉強で普段は習わないことを学び、ナベを作ったり新しい歌をうたって楽しみました。一人一人の存在がとても大切で、生きているだけで周りの人を幸せにしているということにも気付いたし、親や周りの人たちに感謝しながら、これからも、歩んでいかなければいけないなぁと思いました。新しいことをたくさん知れたことと、みんなに会えたことに感謝したいです。 −白鳥夏子−
 
 初めて高松教区の高校生会に参加してみて、自分がもつ何かを分け与えることの大切さ、神様からいただき、両親に育んでもらった命の尊さを学びました。
 また、今、高松教区の小・中・高生に、教区やそれぞれ教会で開かれる子どもの集いや、高校生の集まりに参加してもらいたいと思いました。
 普段、あまり話題にしないようなことについて、語り合うのは、自分をとても成長させ、何かを発見することができます。それに、この集まりだからこそ会える仲間がいます。今年の春にまた子どもの集いがあると思うので、ぜひ参加しみてください。
 何か、今までとは違うものを発見できます。 −河合 恵−
 
 たくさんの高校生と会えたことが、私の一番の思い出です。そんなたくさんの高校生達と学んだ中で、最初に実行したいことは“わけ与える”ことです。私にとってはとても難しいことですが、少しずつ頑張りたいと思ってます。 −西宮園美−
 
 今回、自分と同じ高校生たちと話したり、ゲームしたり、また、1つの問題について一緒に考えたり、歌を歌ったり、お祈りしたり…、どんな活動も、普段の日常生活では絶対にできないものばかりで、本当に貴重な経験になりました。今回の集いでは、いつもと違う場所で、いつもと違う生活をして、自分というものを見つめ直そうという目的で参加したのですが、ここで司教様や神父様、そして高校生やシスターたちと真剣に話しあっているうちに、自分でも見えなかった「もう一人の自分」のようなものを発見することができたので、本当に素晴らしい集いだったと心から思います。これからまた、それぞれの日常に戻りますが、今回の経験−…
 
 私はこの「高校生の集い」の体験で一番心に残った言葉は、「君がいるだけで幸せになる、価値がある」という言葉です。私は時々、「自分は本当に生きている価値があるのか?」と思うことがあります。何かを成し遂げたことにより、生きている価値があると思っていました。でもそうではなくただいるだけ、そこにいるだけで価値がある、人を幸せにできる、ということを「高校生の集い」で学びました。この体験を心に刻んで今後「命、生きること」を真剣に考えていきたいと思いました。 −サレジオ志願院 トラン・クアン・トルン−
 
 この高校生のつどいを通して、「人は、決して一人では生きてない」という事を感じました。どんな人でも、なにかしら、親や友達など、周りで支えてくれる人がいます。それらの支えの中で、僕達は毎日を、生きていますが、ただ、いろんなことを与えてもらうだけではなく、自分からも積極的に、周りの人のためにも、何かをできるように、友達の輪を広げていきたいと思いました。
 もう、このつどいも、終わりに近づいていますが、皆で、ここに集まれたことを、うれしく思っています。これからも、このような集いがあれば、積極的に参加し、視野を広げてきたいと思います。 −サレジオ志願院 宇野裕基−
 
 今回の高校生のつどいでは、本当にすばらしい事を学ばせてもらいました。命の尊さ、生きていてくれるだけでいいんだということから改めて家族の大切さを思い出させたし、親のありがたみも…
 今回学んだことを自分の周りの人にも与えていきたいしまた、それによって成長して自分の事も与えていけるようになればいいと願っています。
 
 私は、この会に参加できて、とても良かったと思いました。
 ここに来てから、新しい自分に変わったように思います。
 命の大切さや、人とのコミュニケーションのとり方など、今までの自分に不足な面がありましたが、今回あらためて、勉強になりました。今の自分の人生は、楽しく、明るく、過ごせています。でも、やっぱりなかには、自分で悩みをかかえていたり、つらい思いをしているときもあります。そんな時に一番に気づいてくれるのは親です。自分の気持ちが楽になるまで聞いてくれます。そのときに、親は、私たちを幸せにしてくれるのだと思いました。
 今回、この会に参加できて、命の大切さや、人とのコミュニケーションの事などをさまざまなことが勉強になりました。自分の命は、親からもらったたった一つの命なので、これからも大切にしたいと思いました。 −渡邊伊代−
 
 この会に参加させていただいて、改めて『命の大切さ』であったり、『自分がどれだけ大切に育ててきてもらったか』ということを考えることができました。どれもみんな、ふだん学校では学べることのできないことばかりでした。普段は一人で夕食を食べることが多い私は、みなさんと一緒に、夕食を作ったり、食べたりするのは、本当に久しぶりで、とても新鮮で、コミュニケーションをとることの大切さ、楽しさを学びました。またBr.八木さんいつもおっしゃっていた『完成した四角から、自分のをくずして人にパーツを分けるということの難しさ』私はこれのできる人間になりたいと思いました。 −坂井友紀−
 
テーマ「与える!」
 私は今回の「高校生の集い」に参加して、いろいろなことを学ばせてもらえました。その中で、最も心に残っているものがあります。それは「与える」という話です。私は今までまだ15年間しか生きていませんが、その中でほんとにいろんな人からいろんなものを与えられました。例えば、神様からは、「命」を与えられました。親からは、たくさんの愛情をたくさんもらいました。しかし、私は人から何かを与えられるだけでした。私はそれではダメだと気付きました。今までは与えられるだけ、でもこれからは人に与える。私はそういう生き方をしたいと思いました。 −サレジオ志願院 芳賀成一−
 
神様が創ったもの
 神さまが創造されたもの。それはこの世界にある自然、宇宙、動物、虫…etc.。そして人。
 神様は私たちのために沢山のものを創造してくださった。さてここで、みなさんはこの神様の創造されたものの中に無駄なものはあると思いますか。僕はそうは思いません。すべて何かしらの価値があると思います。たとえ目に見えるかたちで役に立たなかったとしても。たとえば毒蛇の毒だって、ほんの少し工夫すれば薬にもなるわけですよね。
 最近自分の存在価値が見い出せずに、自殺やいじめをしてしまう人々がいるようですが、僕はその人々に対してこう言いたいです。せっかく神様が創ってくださったものをそう簡単にこわしてしまっていいんですか。みんな自分を理解してくれないって言っているが、それはみんなが見えていないのではなくて、あなた自身、いろいろなものが見えていないのでは。
 神様はみんなを愛しています。みなさんには神様がついています。きっと神様が助けてくれます。だからこれから自分自身の価値を見つけて、生きていければいいと思いました。 −サレジオ志願院 七戸和成−
 
 今回の高校生の集いで、学んだことは、与えることについてです。日ごろ、僕たちは親や周りの人から与えられてきました。特に着る物や食べる物には不自由しませんでした。しかし、世界には、まだ貧しい人々がたくさんいます。今まで十分に与えられた分、物や福音でも何でもよいので、与える立場になりたい。 −サレジオ志願院 蒲原聖典−
 
 今回、僕が四国地区の高校生の集いに参加して、まず感じたことは、やはり、初めて会った人が多いからみんな少し、遠慮している所があるなと思いました。自分もやはり遠慮する気持ちがあり、自分の考えなんかをほとんど口に出していなかったのですが、レクリエーションなどを通じて、自分たちが普段、親しい友人なんかにも言えない自分の考えや思いを伝え合う事が出来る様になりました。そして、自分や相手の考えを知っていくうちにだんだん打ち溶け合う事が出来、それだけでとても充実した集いだったのですが、その集いの中で、レクリエーションの始めなどに歌を歌った事がとても印象的でした。僕は歌には人と人との壁を打ち壊す力があると思います。現に、初めて会った人とは打ち溶けるまで時間がいる僕でも初日からみんなと仲良くなり、夜、会が終わり、寝るまでの間みんなと話をしながらトランプでもと、始めたもののなんと翌朝の6時まで休み無しでずっと楽しくおしゃべりをしながらトランプをし続けていたぐらいですからやはり歌には独特の力の様なものを感じずにはいられませんでした。こんなにすばらしい集いを計画して下さった皆さまに大変感謝しています。そして、もしまた今回と同じ様な集いが開かれるなら、もっと多くの高校生に参加してみてほしいと強く思います。 −野村健介−
 

3.写真集・一日目

夕食準備

今晩のメニューは

「なべ」です

夕食前の一コマ

司教様と一緒に「なべ」です

「なべ」を囲んで楽しい夕食

夜のレクリェーションは

トランプ大会で

グループに分かれて

「大富豪」をやりました

晩の祈り

晩の祈り

キャンドルサービス

キャンドルサービス

1日が終わって…

第2弾夜のトランプ大会
写真集・二日目

日曜日、桜町教会の御ミサ開始前に

第2朗読、このときの御ミサはすべて高校生が担当しました

奉納

サレジオ志願院の皆さんの楽団

高校生は聖堂の前に陣取りました

歌と楽器演奏

御ミサの終わりに高校生一人一人の集いについての発表がありました

日程最後の

「振り返り」の時の

聖歌合唱

「主の祈り」を一生懸命歌いました

司教様を囲んで…

ページの先頭   レポートに戻る   ホーム