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     (’07/2/3、4)

 
徳島教会青年・釜ヶ崎体験学習

 期日  2007年2月3日(土)〜4日(日)
 場所  釜ヶ崎(大阪市西成区)

 大阪・釜ヶ崎は路上生活者が多く、冬季は各施設が持ち回りで「夜回り」をします。徳島教会で集めた物資を届けに行き、この夜回りに加わって今までとは違った視点から社会を見てみよう、というのが体験学習の目的です。
 今回お世話になった「こどもの里」が児童養護施設ということもあり、夜回りにも小学生から大人まで様々な年齢の人が参加しました。
 
*参加者の感想*

 今回初めて参加させてもらって新しい世界を見た気がします。釜ヶ崎のことについて事前話を聞いただけで、そのまま現場に出てかなりの衝撃を受けました。自分はボランティアのつもりで行ったのがそんな気持で行ってもらったら困ると言われ自分の甘さを思い知らされたようなきがします。
 夜まわりをしていてショックだったのは路上で寝ている人たちにたいする周りの目があまりにも冷たかったことです。見えているのに見えてないふりをしたり、夜まわりをしているひとたちをチャカしたりしていたことです。
 最初歩いていてどこまで話が出来るか凄く自分自身が怖くなった。話掛ける勇気をくれたのが一緒に歩いていた7才の子でした。こんな小さい子がこんなに普通におじさんと話している姿みて、自分がちっぽけに思えてきて、これではダメだと思い勇気出して話してみたら以外と話ができました。話の内容は、身体の具合や路上生活は何年?とか、仕事の事、収入の事を聞いて釜ヶ崎の現状を教えてもらいました。この路上で生活する人達を国や行政はこのまま放っておくのだろうか?
 自分がこの活動に参加出来てこの問題を仲間と一緒に考えることができて、この機会を与えてくれた人に心から感謝したいと思います。この2日間の事はずっと忘れないでしょう!!


 釜ヶ崎という場所のことを知ったのは、大学生の頃の授業でした。『信じられないかもしれないけど、私たちが思う以上の数の人が路上で生活している』確か、そういう話を聞いたと思います。強制撤去の映像を見て、いろいろな本を読んだけど、1つのフィルターを通して得た知識は当然ながら自分の思いや体験と繋がることはなく、いつしか私は頭でっかちになっていました。ずっと行ってみたいと思っていたものの、なかなかチャンスに恵まれませんでしたが、今回そのチャンスに恵まれたことを嬉しく思います。私は医療現場で働いていて、仕事で生活保護を受けている人や何らかの事情で打ち切られてしまった人と関わることが多い中、頭でっかちな自分をもう一度見つめ直すきっかけになりました。机上の知識だけでは不十分だということを改めて痛感し、自分で体験することの大切さを実感しました。
 私はあまり偏見を持っていないつもりでした。しかし、実際に夜回りが始めるとそうはいきませんでした。最初に回ったのはお墓で、私はお墓の不気味さと怖さ、そして夜の寒さに逃げ出したくなりました。「こんなところに本当に人がいるんだろうか」という疑問を抱きながらこわごわ歩きました。でも、お墓のそばの風が凌げそうなところに寝ている人がいたのです。一緒に回っていた友だちや子どもが声を掛ける中、私は足が竦んで、声が震えそうになっていました。なかなか声を出すことができませんでした。でも、こちらの声掛けに応えてくれるおじさんの姿に少しずつ感じていた怖さや戸惑いは拭い去られたように思います。
 また、「捨てるものは何もない。あとは自分の命だけ。」そう言っていたおじさんの姿もとても印象に残っています。恵まれた環境の中で生活している私は、毎日をただ何となく生きているような気がします。しかし、路上で生活している人たちは、私が思うよりも1日1日を大切に生きているのだと思いました。家族や仕事、そして人として当たり前に暮らすことまでも失うということ。私には想像できない生活です。しかし、路上で生活している人はそれが普通のことなのかもしれません。“普通”というのはその人だけの基準であり、他者が見るとそれは“普通”ではないということ、私にとっての当たり前は、釜ヶ崎で生活するおじさんたちにとっては普通ではないということを実感しました。
 また、翌日のミサもとても心に残っています。理由は分かりませんが、ミサの最中、突然涙が流れました。初めての体験でした。今まで与ったことのないミサ。真剣に祈る人たちの姿と自分もミサに参加しているという感覚がそうさせたのかもしれない、と今になって思います。
 私は今回の体験でここには書き表せないくらい多くのことを学ぶことができたと思っています。当たり前だけど自分の持っているものさしだけでは物事は測れないこと。知らないから怖いのであり、知ってしまうとどうってことないこと。常に感謝の気持ちを忘れないこと。心を開くこと。 “人として”大切なことを学び、体験することができました。新たな自分の中の“ものさし”を得る手だてができました。またこのような体験を積み重ね、自分の視野を広げたいしもっともっと釜ヶ崎で生活している人のことも純粋に知りたいと思いました。今度はもう少し自分から声を掛けられたら・・・・と思っています。


 夜回りに参加するたびに(と言っても2回目だが)思うのが子どもの里でボランティアなり職員なりで働いている若者の姿勢だ。
 私と同じくらい、もしくは若くありながら、小さな子ども達の扱い、指導、厳しい面を持ちつつも野宿者たちに対しての親身な接し方。同じ目線で同じ心で寄りそっている姿を見ると、やはり自分が何を思い参加しているのか考えてしまう。
 ボランティアと言ってしまうのもしっくりこない。私は何か学べたらと思っていたけど、釜ヶ崎キリスト協友会のガイドブックの最初の文頭に
「夜回りする側の社会勉強のために野宿者はいない。」という言葉に胸がしめつけられた。
 確かにその通りである。
 2月4日、ふるさとの家でのミサ。昨年に比べ多くの野宿者たちが集まっていた。次の日2月5日に行われるデモのことを神父様は話していた。
(長居公園で野宿生活を余儀なくされている野宿者に対し、世界陸上大会を理由に、強制排除を目的とした行政代執行についてのデモ)
 まるで「願いは聞き入れられているものと信じて、行動する」(神父様が「祈り」について説教していた一節)ことの決意を確固たるものにするように、野宿者達が気持ちをこめてミサに取り組んでいたのが強烈に私の胸を打った。
 その時私が居た場所には、そうした「人として生きる」という当たり前なことを当たり前にするために、日々を真剣に生きている人々の顔があった。
 子どもの里の雰囲気に圧倒されてしまうのも、彼らと野宿者との共生の中に常に戦いがあるからなんだろう。
 さて、私はというと同じ日本に住んでいながらまるで他人事のように暮らす日々。ふだんの生活の中で「人を人として」や「いのちの重さ」を感じることはほとんどない。いつも自分のことばかりで人のことについて深く考えもしない。ニュースで暗い事件を知ってもTVを消してしまえば忘れてしまう。
 でも私はまた参加したいと思う。参加することで考えさせられることは多い。少しでもイエス様が言うように「汝を愛するが如く、隣人を愛せ」の信念に近付きたい。
 「信じる」ということと同じくらい難しいことだと思うけど、自分が生きていくというか人が生きることのテーマであると思うから。

     『釜ヶ崎……その後のふり返りより〜』

 私が夜回りに参加した時、体験した、あることをふり返ります。
 私と友人が、路上にダンボールで囲いを作って眠っているおっちゃんに話しかけたところ、おにぎりも何もいらないと丁寧に断られました。  しかし、後から来た小学生の女の子が同じように話しかけたとき、おっちゃんはおにぎりとお味噌汁を望んでいました。それを見て、私ではどこか警戒される所があったのだろうと、なんだかガックリきてしまったのです。次はもっと、おっちゃんの心に寄り添えるようになりたいと思いました。
 しかし今、改めて思い直すと、決定的な間違いに気付かされました。それは、釜ヶ崎についてのある記事を読んでいた時なんですが、それと同時に、五木寛之さんの本の一節を思い出し、ハッとしたのです。

 『愛する』というより『愛させてもらう』

 私は、勇気を出しておっちゃんに話しかけましたが、おっちゃんが心を開いたのは小学生の女の子に対してでした。しかし、そこでガックリくるということは、私はおっちゃんに(役に立つという)見返りを求めていたのだと思います。もしその時、私達に心を開いてくれていたらガックリすることはなかったと思います。
 自分では夜回りに参加することに対して謙虚な気持ちを持っていたつもりだったのに、この一つのひらめきを通して、私は自分の心に潜む『偽善』に気付かされたのでした。
 これから、私が夜回りに参加し続けた時に、例え野宿者たちが心を開いてくれなくてもいいのです。それは野宿者達が決めることで、私は夜回りをしたいからしてるだけなのですから。

『愛する』ではなくて『愛させてもらう』
『夜回りする』ではなくて『夜回りさせてもらう』
くらいの気持ちでいたいと、今では思っています。

 僕がそこで感じた感情は怒りに近いようなモノで、それは周りの人の感情とはちょっと違うモノかも知れないし、何も知らない僕が思って良いことなのか悪いことなのかそれも分からないけどそう思ったのは事実です。
 夜回りをしてゆく中で一人のおじさんに出会いました。細かい事はもう忘れてしまったけれどそのおじさんが言った言葉で今でも胸から離れないモノがあります。
 
 俺なんて死んでもかまん。
 
 その時は大して何も思わなかったのだけど、時間が経ってから振り返って見ると凄くその言葉に腹が立ってきてしまって、勝手にしろって思ってしまいました。
 同情なんて僕は絶対したくない。オジサンの気持ちなんてわかりたくもない。きっと空はどっからでも青いしどっからでも線を引けばスタートラインになるんだ、って僕は思う。
 
写真集

事前勉強会

朝食

子どもの里の前で

分かち合い

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